半年たっても手放せない過去の出来事を昇華させる方法を、歯医者で治療中の2時間に気がついた
去年の7月に仕事辞めました。これはもう運命じゃなかろうかって信じ切って飛び込んで働いていた職場だったんだけどね。わりとよくあることなのか、そうでもないのかよくわかんないけど、適応障害で辞めました。
私は自分で言っちゃいますけれど、なかなかのしっかり者。真面目だし、真面目だけどそれでいてしなやかさも持ち合わせ、協調もできるし、コミュニケーション能力も高い。仕事はけっこう出来る方だと思う。これまでの人生で携わってきたいくつかの職場でも評価は高い。自分で言うなよって感じだけど、でもそうなのよ。
そんな自分が適応障害になるなんて。
職場で毎日のように怒られまくって、人格否定されてしまうようなことが自分の身の上に起きるなんて、これっぽちも思ったことなかった。
なんで適応障害になったかって話の詳しくはここには書かないことにするけれど(長くなっちゃうから)。
この適応障害の後遺症みたいのが正直今でもなかなかきつかったりするのです。
適応障害そのものは。仕事を辞めたら、あっという間に改善。ご飯も食べられるようになったし、眠れるようになったし、心臓の痛みも消えてった。
だけどね、それから半年経っても、何が辛いって。
毎日思い出すことが辛い。
日々のいろんな場面につけて、あの時この時の辛い記憶が浮かんできて。こう言われてこう感じたなとか。ああ、今でもグサリとくるなとか。1日に数回思い出されちゃうのね。
そしてそのたびに。
ああ、私はまた縛られてる。私はまだ乗り越えられないって。辛いやら悔しいやら切ないやら、悲しいやら、、、なんとも言えないどんよりさにがんじがらめになっちゃう。しくしく。
もう半年も経つのに。
思い出したところで、どうにかなるわけでもないのだし、ほんと不毛だなって思ってる。何度思い出してみても、そこから何か生まれるわけでも、気持ちが変えられるわけでも、なーんでもないんだもの。
そいでもって。この思い出したときのなんとも言えない感情の行き先?葬り先?をずっと模索してるわけですよ。
この毎日毎日繰り返しやってくる辛いどんよりした思いに飲み込まれて、がんじがらめになって、抜け出せなくて、負けるのだけは絶対イヤだって、負けたくない!負けたくない!って一応踏ん張ってる。
でもずっとどうしていいか、わっかんない。
そんなこんなな思いを秘めている今日このごろ。
友人に本を借りたら、オマケで「この本も読んでみて」って渡されたのが。。。
『 ユダヤ人大富豪の教え 』 written by 本田 健
うーん、いまいち今読む気分じゃない感じ〜と思って、しばらく読まずにテーブルの上に置きっぱなしにしてあったのだけど、正月の間に、たまたまた用意しておいた読みたい本数冊も全部読んでしまったし、読む本ないな〜ってときにこの本と目が合った。
うーん。なんか今日はこういう本の気分じゃないんだけど、友達にも借りっぱなしになっちゃうし、せっかく勧めてくれているのに読まないで返すなんてことは、絶対できないしね…と。しぶしぶ(笑)読み始めたよね。
まずは朝ごはんを食べながら、ちょっとペラペラめくっとくかって手にとったのだけれど。
…え。
……え?
……やばくない?これ、ドンピシャじゃない?
って。
結局そのまま一気に読んだ。
数十ページ読んだところで、あ、これ、ちゃんともう一回読み直さないといけないわ、大事なとこはあとで拾えるように付箋つけとこうって、付箋を貼りだしたらさ。あっという間に付箋でふっさふさ〜。笑
この本の中には。今の私が考えていることのヒントがもんのすごいたっくさん詰め込まれていました。いやはやびっくり。なんだよこの本!だよね。だってさ?私が考えていることの「あの件」と「この件」と、って。あっちこっちのことが書いてるんだから驚き。
で、セールスについても、このところすごく考えていたことだったし。
自分の仕事や幸せへの考え方もわかるーわかるーってなった。
この十年くらいの間に見聞きしたり、あ〜そういうことなんだ〜って自分で感じたりしてきたことが、総まとめのようにこの一冊の中にはあったのが何よりびっくり。
ちょっと調子いいこと言っちゃうと、あれ?私の思考なかなかイイセンいってんじゃない?なんて思わさったりして。
読んで数日、この本の内容をちょこっとずつ思い出してはあれこれ考えたりしていたのだけれど。
そんなこんなの今日ですよ。
新年そうそう、歯科治療の今日ね。
先月から重い腰を上げて、十年ぶりの歯科へ通い始めたのだけれど。ほら、歯医者さんって大人になっても怖いじゃないですか。麻酔の注射痛いし。びりってして飛び上がったり。そのびりって痛いのが、いつ来るのかってドッキドキハラハラしまくったり。
めちゃくちゃビビリながら今、歯医者に通っておりまして。
いくつか虫歯も直しつつ、昔、詰めたところが長い歳月の間にすっかり変色していしまったところがお恥ずかしながらたっくさんございまして。これを今、私の最大の勇気を振り絞って治しに通っているのですけれど。
今日はまさかのびっくりぽん。「こっからここまで6本一気にやっちゃうね〜。1本削るのに10分かかるとしたら、これから1時間削ることになるから、がんばってね〜」って。
ぎょー。(白目)
(先生、さっそく間もおかずに麻酔刺しまくる。この有無を言わせぜず、緊張の前の深呼吸1つつく暇も与えない感じ…むしろいいかも…)
歯を削られる恐怖の前で。こりゃもう意識を違うところに全力で逃がすしかないよね。
ってなわけで。
ここから1時間(あったのか?)、私は目を閉じて、あのキィーーーン、ガガガガーーーー!って音をなるたけ聞かないよう、顔にかかる水しぶき?も感じないように。ただただひたすら、『ユダヤ人大富豪の教え』の中の言葉を思言うかべていたのです。
そうして、ちょうど「感謝」についての話を思い出していたときに。
あ。
…あ。
……あ。
………!?
そうか。
そうだ。
「いつまでも手放せないあの過去の辛い出来事に、とりあえず感謝しよう」
ってことがぽんっと。
私の中にぽんっとね。落ちてきました。
なんか落ちてきたのよ。ほんと。言葉で考えるんじゃなくって、ぽんっと落ちてざざざーーーっと一気に波紋広がるみたいに感覚的に、理解?した感じ。
チュウィーーーーンッ、ゴゴゴゴーーーッって鳴り響く中で。
「○○さん、ありがとう」って心の中で言ってみた。
私を適応障害にまで追い詰めた魔物のような○○さんに無条件でありがとうを言ってみた。
3回くらい言ってみたかな。
そしたら。
キィーーーーン、キィーーーーン、ドゴゴゴゴーーーッってまだ鳴り止まない中で。またなんか心の中にぽんっと降ってきた。
あ。そうか。なんかまだうまく言葉にできないのだけれど、わかった…ような気がする。
「○○さんありがとう」
「適応障害ありがとう」
「すんごい辛い体験をありがとう」
あー。
そうかー。
あー。
どうしましょう。笑
わたし、いきなりだけれど半年も手放せずに苦しんでたけど、これ、乗り越えられそうだわ。
気がつけば歯を削るところはほぼ終わったようで、仮歯をつくるのに型を取ったり、うがいさせれらたりしながら。
なんかいっきなり心がふわっと軽くなってきた。
目の前の雲がさーっと引いてくのが本当に見えてきそう。
晴れてきた。
そもそも。
手放せなくても大丈夫。
きっとこの半年ずっと手放せないで苦しいってもがいていたけれど、これは手放さないんだわ。
ありがとうって言いながら一緒に持ち続けていけば大丈夫なんだわ。
あー。(ってばっかり言ってる)
わたし、この歯の治療中に悟ってしまったかもしんない。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとうのパワーはすごいかも。
最初はフリでいい。口パクでもいいかも。
言ってるうちに「ありがとう」は本当になるのかもしれない。
わたし。
半年苦しんだけど、苦しんだことが大きければ大きほど、そこから生まれるものは大きいよね。
〇〇さんありがとう。苦しかったんだけどさ。ほんとすんごい苦しかったんだけどさ。でもそのおかげでわたしはもっと幸せになっちゃうかも。
〇〇さんありがとう。すごいひどいことされたって思ってるけれど。そのおかげでわたしは色んなことを考えることができたよ。
まだおっきなありがとうは言えないけれど。
まだちょっとカタチばかりな部分が大きいけれど。
今日からわたしは思い出すたびに、「ありがとう」を言うよ。
感謝。