その人が生きてること、
もともと、<人が生きてることに興味がある>子どもでした。2~3歳のころ、となりに寝ている1歳前後の妹のおなかがふくらんだり凹んだりするのをみて、自分が息をしていることに気づきました。息をしようとしなくても息をしていて、でもしようとしてもできて、止めると苦しくなりました。胸に手をあてていたので、同時に心臓がドクドクしていることにも気づきました。でも息のようにどうにかすることができませんでした。たぶん、その時、ドクドクが止まったら、息をしなくなったら、<死>ということを感覚的に知ったような気がします。そして、どこからきて、死んだらどこいいくのだろう?と、その時思ったのかどうかはわかりませんが、物心ついたときは、そんな「生きてること、死ぬことは?」を口にする子どもでした。
そんな子どもは、いろんな大人に「そんなこと口にしてはいけません」と言われたので、その疑問をおなかのなかにしまったまま日々をすごしました。それでも、だれかといる時、だれかを思う時、わくわくしたり、ドヨっとしたり、ドーンと落ちたりと、胸やあたまやおなかやなにかからだの中の感じが気になり、そういうこと生きてることでなくなったら死ぬかもしれないとふっと思ったりもありました。
大学生になり、そういったことを知りたくて、心理学を学んでしたのですが、数字であらわすことや、型にいれることが気持ち悪くて、いつのまにか、そんなことを考えてたことすら忘れておとなになっていきました。
5年程まえ、ほんのささいなことがきっかけで、カウンセラーやキャリアコンサルタント、コーチングの資格を取りました。ずっと組織の中で働いていたので、組織の仕事をしながら、人の話を聴く仕事をし、かたわら学びを続けていくと、子どもの時の<生きてること、死ぬこと>が気になっていた感覚を思い出しました。偶然に出会ったカウンセリングやマインドフルネスの先生方は<生きてること、死ぬこと>を探求している人たちで、聴すクライエントさんの話は<どう生きていきたいか>の話だったからです。
こたえのでるはずもなく、気になりながらすごしていると、組織の仕事が総務から福祉用具の専門相談員に異動になりました。介護を受ける方の在宅の環境を調える業務です。介護保険制度のことはずっと20年やってきてきましたが、現場の知識はなかったため、一から手探りでした。人の住む環境はひとりひとりまったくちがいました。利用者さんのからだの状態もちがえば、住んでる家の環境も家族構成も、もっといえば、この先どうしていきたいかも、あとどれだけ生きられるかも、みごとなまでにちがいました。介護保険サービスで借りられる福祉用具、例えば車いすや、手すりや、また、住宅自体を改修することも、用意できる種類はあるけれど、なにがいいか提案することもできるけれど、その中でなにを選択するかは、本人が決めることでした。初めて介護をうける状態になる人がいて、からだやあたまの機能の衰えをうけいれるところからの人、こだわりが強く思いが手放せない人、その状態を受け入れるところからの人もいます。余命の宣告を受けた方も、家族に迷惑かけまいと我慢する人、本音が言えない人、看取りを覚悟する家族、挙げていけばキリがなく、その住む環境の様々さとあいまって、一人として同じはありませんでした。
何を選択するのかは本人だけど、決められない本人がいるし、それをとりまく家族もいて、なにより、用具の種類を決めること以上に、どうすごしたいか?がわからないことにはこちらが提案することもできませんでした。どうすごしたい?どう居たい?を聴きているとき、ふと、どう生きてきたか?で、その先のどう死にたいか?がみえてくることがありました。
子どもの頃気になった<生きてること、死ぬこと>が、いま、ここにあるような気がしたことがありました。ことばだけではなく、なにかしら、はっきりみえるようなものではないけれど、でも、たしかに何かがそこにはある。そこにあることがわかるために、人の話を聴くことやマインドフルネスの学びを続けてるのかもしれません。
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