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歌の読めない女の話

つくづくと歌の読めない女かなびらびらと赤き付箋を貼りて

大辻隆弘『汀暮抄』

わたしは大辻隆弘さんのこの歌は、フェミニズムとは関係なくすごく好きなのです。文芸の世界において、男であること女であることといった社会的な属性の前に、きちんとその人の文芸が理解できるか出来ないか、という観点のほうが重要ではないか、と私は考えています。

文芸に携わるものが自分の作品の不出来を指摘されるのを人権侵害とか言ってきたらひっぱたいてやろうと思ってます。

もうお消しになったと思うけど、すこし前に、私がやめたかつての選歌欄の一番問題のある方で、なぜか師匠に気に入られている女性が「自分が被害者」であるかのような顔をしてこちらのコメント欄に書き込んできたことがあります。

私は、少しの間noteを開くのを一旦おやすみしていていて、「もし自分が開いたときにその人のコメントを見つけたら、名指しして、丁寧に批判してさしあげなければいけない」とおもっていたので、あえて自分の体調が整うまで、何もログインしていませんでした。

どうやら今回コメントも消えていて良かったです。私は自分も社会から抑圧されて精神を持ち崩しているけど、文芸に携わるものとして作品でそれを配慮してもらおうと思いはしないです。

ところが、中には、「自分の精神的な問題」を理由に「自分の文芸」そのものも嵩まししてもらおうみたいな手合いがいて、そういうのはほんとに女性しかみたことないけど、とにかく「歌の読めない女」ってダメだよな、って比喩的にそう思いますね。

はっきりいいますが、人権とかそういう空理空論(元々日本人は人権があるんて戦争に負けてからのここ80年間のルールの変更にすぎませんよね)や、女性の生きづらさのようなものが、文芸の原則に優先するかのような「振る舞い」を私は基本的に認めませんし、絶対赦しません。

結社という世界にはほんとにいるのよ、そういう馬鹿な女が。

自分の力ではなく、師匠の権威のようなものを借りて、気に入らないやつを「私は傷ついた」といって攻撃してくるような人。あるいは、短歌の世界である程度認められているそれこそ「歌が読める人」の批評と、自分の人権みたいなのをごっちゃにして、「自分も同じように扱って」みたいなことを言って、会の運営そのものを台無しにするような人。

うちのかつての師匠が、結局こういう「歌の読めない女」に負けたんだなと思うと、もう呆れてものも言えないですよね。ほんと、私の立場は一貫しているけど、師匠のことはいまでも尊敬しているし、普通に話せるんだけど、
さすがにこの手の厚顔無恥な人を許すような空気のなかではやれないなって思いました。

実際こういう人が、「誰も引き受けたらがらない運営」みたいなのにずけずけと、師匠との特別な関係を求めて、他の何年も歌をやってこられている方に何も敬意を払わずにお近づきになる、みたいなことになるとほんと最悪ですよ。

これはフェミニズムとは逆の事が起こっていて、働けないこと、女性であること、弱者であること、時間があることを特権化して、「文芸の世界で才能のある人」の出来ないことをやって得点を稼いで、文芸の原則とは違う方法で自分が気に入られようとする態度のことです。

これこそが「弱者の地位利用」だと思う。ほんとに。残念ながらぼくが好きだったものは、こういうので全部台無しになりました。

で、「そのことについては私はもう遠慮せず指摘します」というのも基本的な私のスタンスです。

人権とかそういうのは、社会でよりよく生きるための大原則なので、みんな大事にすればいいと思う。それは社会人としてはそう思いますけど、文芸の世界って、別になくても良い世界というか、好事家、って昔から言いますけど、好きでやる人が本当に深いところに入っていくための場所ですよ。上手い下手のほうが、人権などより全然大事だと思いますけど。

その前提をわきまえている人が、長い事運営に関わったり、一応「歌の世界のこと」として現実と切り離してものごとを語るから、なんとか成立していた部分って確実にあったと思うんです。

歌そのものが魅力的かどうか、上手か下手かという観点は、「人がみな人権があること」とは全く別の議論です。商業主義ではないけれど、文芸には大事にしなければならない、「きちんと芸を受け継いでいるか」という観点がしっかりあります。

「1年目の私」と選者の人は平等に人権があるから、「1年目の私」の意見と、「40年くらい真剣にやってる選者の意見」をきちんと同じ意見として聞けみたいな人がいるんですけど、それは、自分が40年も努力をしてないのに、その選者と同じような権威を振るおうとする、「無能さの特権化」でしかない。

ある意味、こういう人が時間があることを武器にして師匠に気に入られようとしたり、何かちょっとフェミニズムとは違うのだけど、自らを文芸以外のところで特権化しして、他の女性たちからも文芸を真剣にやっている人からも総スカンを食らう、という悲惨な有り様になり、欄が事実上潰れるような風景をぼくはまざまざと見てきました。

ぼくはもう自分の公正性を維持するために、逆に人間関係とか絶対いらないな、と思いました。下手するとそういうのに配慮するあまり、こういう自分の足元を失わなければならないような痛い目にあうから、自分もこういう人から、一切の利益供与を受けてはいけないなと思います。

いま、私には自らのなかにある「文芸」を守ろうという決然とした態度しかないです。

私は孤立してもいいし、むしろ孤立している。そっちのほうがフェアだと思いますね。

だからぼくは最後に「文芸」に殉じますけど、余計な葬礼とかほんとにいらないから、そのことだけ多くの人が記憶しておいてもらえばいいと思います。

この記事を境に11月の記事については全部非公開にして、会員限定のものにする作業をするので、よろしくお願いいたします。

歌の鑑賞でいい記事がかけているので、しばらく鑑賞記事だけをおいておきます。よろしくお願いいたします。

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西巻 真
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