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今も残る心の傷跡が、少しだけ誇りに思えた瞬間

大切な人が心を病んで、SOSの連絡が入った。

彼女のチャームポイントでもある陽だまりのような笑顔はそこにはなくて、瞳からは心の深く深くまで悲しみに浸っていることが見て取れた。

彼女はとっても傷ついていて、心が痛くて仕方ないことがひしひしと伝わってきた。

辛かった出来事について話してくれたけれど、

私には、彼女の心が叫んでいることはたった一つ、

「自分を認めて!許して!もう責めないで!」

と訴えているように思えた。

私も、心が張り裂けてしまいそうな経験をしたことがある。
日記の一行目はいつも「死にたい。」だった。そんな日々が続き、今ここで人生が止まってしまえばいいと何度も真剣に願った。なんで私ばっかり...

けれど、それも無駄な経験ではなかったのかもしれない。そのおかげで、今、彼女の痛みを一緒に抱えて、寄り添うことができたから。

あくまで私自身の経験や感覚というフィルターを通してしか、彼女を理解してあげることはできないから、「わかるよ」なんておこがましいことを言うつもりは毛頭ないけれど、

心が痛く痛くて苦しくて仕方ないってどんな風かは、わかる。
そんな時、何が必要なのかも。

人が心を病む時って、様々な外的な要因があるけれど、根っこにある原因の種類はさほど多くないように思える。根っこをたどっていくと大抵行き着くのは「ネガティブな感情(許せない、嫉妬、不安、怒りetc..)を感じる自分を、自分が許せない」、つまり「自分で自分を責めている」ということだったりする。

だから、目に見える出来事や現象に対処する前に、自分を責めるのをやめて自分を許してあげること。安心させてあげること。「いいんだよ、大丈夫だよ」って、自分を全肯定して受け止めてあげることが、必要不可欠だと思う。

私は、彼女に繰り返し伝えた。

「自分に寄り添うことだよ。」

「あなたの心は、自分自身に認めて!って叫んでいるように、私の目には映るよ。」

彼女は、「そうだよね~。」とわかるようなわからないような表情をしながら、様々な心の内を話してくれた。


最後に、こんなやり取りをした。

私:「じゃぁ、今日覚えておいて欲しい言葉は何だったかな~?」
  (幼稚園児を扱うようにふざけて言った。)

彼女:「『寄り添う』でーす!」
(二人とも爆笑)

私:「じゃぁ、辛くなったり苦しくなったりした時、自分になんて声をかけるのかな~?」
(またしても園児扱い。)

彼女:「そのままでいいんだよ!だ、だいじょぶ・・・」

その瞬間に彼女の目から大粒の涙がボロボロと溢れ出した。

最後は明るくと思って、ふざけていたから少し驚いたけれど、でも納得だった。

やっぱり、彼女の心は、「自分で」自分に言って欲しかったのだ。
自分の声で発した「そのままでいいんだよ!大丈夫だよ。」という言葉を耳にした時、やっと切望していた言葉を自分に言ってもらえて、彼女の心は震えたのだと思う。「自分に」許してほしかったんだと思う。


私の心には、心を病んでもがき苦しんだ時の傷跡がまだ残っている。

けれど、その経験があったからこそ、誰かの心を少しだけでもほぐすことができたなら、それで良かったのかもって思えるようなった。
そんな未来がくることを、当時の自分に教えてあげたい。

癒えた後も私の心に残ったままの傷跡が、ほんの少しだけ誇りに思えた瞬間だった。

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