冬はこたつと《みかん文化史》
令和6年ー2024年の12月の半ば。猛暑だった夏から短い秋が駆け抜けた。日ごとに冬が一歩一歩近づく。年度末のあわただしさを前に、冬になればこたつにみかんが日本の原風景といえる。いつも身近なみかんは、そのまま食べてもよし、冷菓にも相性が抜群。最近はいろいろなレシピが登場し、まるでみかん美術館なみの人気である。おいしさと香りのよさ、それと昔から愛されてきたナンバーワンの存在感があると思う。正月の飾り付けにもみかんが重宝されてきた。ここらで一度いつもお世話になっているみかんと日本文化をのぞいてみたいと思う。こたつに入って、新聞や雑誌片手に家族や友達とあれこれ話しながら、手が黄色くなるまでみかん三昧だったあの頃を思い出しながら、わたしたちのみかん文化論にふけってみよう。
ホント?みかんの代名詞、温州みかんの原産地は日本だった!
「みかん」とは皮がむきやすく、小さな柑橘類をまとめた呼び名だそうだ。一般的に「みかん」とは、おもに収穫量が最も多い「温州みかん」のことらしい。この「温州」というのは、中国の浙江省にある地名で、昔から柑橘類の産地として有名な場所だけれど、温州みかんの原産地は日本で、鹿児島県の長島がその発祥地とされている。つまりみかんは中国から伝わった柑橘類から偶然生まれた実生(みしょう)であると考えられている。
江戸時代に和歌山の紀州産のみかんが大ブレイク
江戸時代には、「みかん」といえば紀州みかんのことだった。当時は家の存続が重要で、種のない温州みかんは敬遠されがちだったそうだ。しかし、明治時代になると、温州みかんはその食べやすさや実の大きさから人々に親しまれ、生産が盛んになった。温州みかんは暖かい気候を好むため、現在は主に関東より西の沿岸地域で栽培されている。中でも、和歌山、愛媛、静岡が代表的な産地であるが、熊本や長崎など九州地方でも1960年代にかけて生産量が大きく増加した。
温州みかんには多くの品種がある。「青島温州」や「宮川早生」といった品種が知られているが、「三ヶ日」や「有田」といった地名がブランド名としても有名だ。
有田地方では、室町時代から在来種のみかんが栽培されていたが、本格的な商業栽培が始まったのは安土桃山時代のことである。1574年には、熊本県八代市(かつての肥後国八代)から評判の良い「八代の小みかん」が有田に伝えられた。このとき、紀州藩の命を受けた伊藤孫右衛門という人物が、八代からみかんの苗を持ち帰り、在来種の蜜柑に接ぎ木をして小みかんの栽培を広げたとされている。
この情報の詳細については下記からどうぞ。
https://www.city.arida.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/253/20151110-11.pdf
江戸時代に流行したブランド、「紀州小みかん」がみかんの代名詞になった
こうして八代の小みかんが広まる中で、優れた品種が選ばれていき、江戸時代には「紀州小みかん」という名で知られる品種が育てられた。当時の様子は、江戸時代後期に書かれた「紀伊国名所図会」に描かれており、石垣を積んだ段々畑でみかんを栽培し、収穫したみかんを天秤棒で運ぶ姿が見られる。紀州藩はみかん栽培を奨励し、「蜜柑方」という共同出荷組織にお墨付きを与え、商いをしやすくする保護政策を行った。この結果、有田のみかんは江戸や尾張での販売が順調に伸びていった。
享保19年(1735年)に書かれた『紀州蜜柑傳來記』には、有田のみかんが慶長の始め(1596年頃)から栽培され、年々出荷量が増え、小舟で大阪や堺、伏見に送られていたことが記されている。他藩でもみかんが販売されていたが、有田のみかんは特に味が良く、高値で売られていたという。この時代のみかんの出荷作業も「紀伊国名所図会」に描かれており、みかんを山積みにして選別し、出荷用のかごに詰める様子がイキイキと記録されている。詰められたみかんは港へ運ばれ、各地へ届けられたのである。
冬の果物を代表するみかん、栄養たっぷり、美容にも最高!
みかんには、体にうれしい栄養がたっぷり!ビタミンCが豊富で、1日2~3個食べるだけで必要量をしっかり摂れる。ビタミンCは免疫力を高めて風邪やインフルエンザを予防してくれるほか、抗酸化作用もばっちり。さらに、みかんに含まれるフラボノイドやテルペノイドは体の中から悪い物質を追い出してくれる力がある。
みかんの皮にも秘密がいっぱい!ビタミンやフラボノイドが入っていて、袋ごと食べると便秘解消や生活習慣病の予防に役立つ。クエン酸も疲れを取るのにぴったりで、疲れた体を元気にしてくれる。
そして食べた後の皮も活用!「みかん湯」にしてみよう。皮を5~6個分洗って布袋に入れ、お風呂に浮かべるだけ。リモネンという成分が体をぽかぽかにして血行を良くし、冷え性や風邪、美肌に効果があると言われている。さわやかな香りでリラックスできるので、ぜひ試してみてほしい!
かわいくておいしい、多様なみかんデザート
最大の大ヒット、童謡「みかんの花咲く丘」
「みかんの花咲く丘」は、日本を代表する童謡の名作のひとつ。1946年8月に発表されたこの曲は、加藤省吾が作詞を、海沼實が作曲を手がけた作品である。「みかんの花咲く丘」のレコードは井口小夜子が歌った(1947年7月・キングレコード)と川田正子が歌ったもの(1947年から1948年頃・日本コロムビア)がある。
1946(昭和21)『みかんの花咲く丘』唄:川田正子
Youtube登録:【流行歌の情景】Old but gold
「戦後生まれの童謡の中では最大のヒット曲」とも言われており、作詞をした加藤省吾の出身地である静岡県にはいくつもの歌碑が建てられている。モデルとなった場所のひとつ、静岡県伊東市宇佐美の亀石峠にも「みかんの花咲く丘」の歌碑がある。地元を走るバス会社、東海自動車では、新人のバスガイドが入社するとまずこの歌を覚えることから始まるそうだ。
なんてユニーク!日本のテクノロジーが名曲を再現「みかんの花咲く丘」
この情報は多くのみなさんに知っていただきたい。みかんで有名な愛媛県内の国道197号の一部区間は「佐田岬メロディーライン」と呼ばれるところがある。この場所は、特殊な舗装によって一定の速度で車を走らせると、タイヤの音が「みかんの花咲く丘」を奏でる仕組みになっている。こんなすばらしい試みは、ほかで聞いたことがない。もしかして、世界初のチャレンジなのでは?機会があったら、ぜひここを走って名曲を体感してみたい!
好きな童謡に選ばれた「みかんの花咲く丘」が歌碑に!
兵庫県たつの市にある白鷺山公園には「童謡の小径」と名付けられた散策路がある。その中に「みかんの花咲く丘」の歌碑が建てられている。これは、全国から「好きな童謡」を募集した際、この曲が上位8曲のひとつとして選ばれたことによるものである。
日本の歌「赤とんぼ」の作詩者三木露風の生誕地にちなんで、龍野市は昭和59年10月に『童謡の里』として都市宣言を行った。全国に向けて「童謡」の募集を行い、その中から上位8曲を選び、作詩者の出身地の石を使用して、歌碑を設置した。歌碑の数:8基(赤とんぼ、里の秋、夕焼け小焼、七つの子、ちいさい秋みつけた、みかんの花咲く丘、月の砂漠、叱られて)
歌碑の前に立つと童謡のメロディが流れる。これをご縁にいつかここで「みかんの花咲く丘」を聞いてみたいものである。
歌舞伎に詠われた紀伊国屋文左衛門「暗いのに 白帆が見える あれは紀の国 みかん船」
江戸では、毎年ふいご祭りに鍛冶屋がタタラにみかんをお供えしたり、子どもたちにみかんをまいたりする行事があった。ある年、海が大荒れでみかん船が出せず、農家も商人も困り果てていた。そんな中、17歳の若者・文平が「わしが船を出す!」と名乗り出た。この若者こそ、のちに紀伊国屋文左衛門と呼ばれる人である。
文平の勇気に仲間が集まり、荒れ狂う海に命がけで船を出した。波にもまれながらも、文平の船は無事に江戸へ到着。人々は大喜びで、みかんは高値で飛ぶように売れた。そのお金で買った塩鮭を大阪に運び、また大儲け。この成功をもとに、文平は材木商としても大成功を収めた。
有田みかんを有名にした文左衛門の話は、江戸歌舞伎でも取り上げられ、「沖の暗いのに 白帆が見える あれは紀の国 みかん船」と詠われるようになったのである。
https://www.ito-noen.com/dictionary/tips/132/?srsltid=AfmBOoo21ErDHjAv8W2z45WGW-RBZj-URxo3Cac4bRUkcYg9Rtm4E0fj
シュールなイメージが人気だった「ウゴウゴルーガ」のみかん星人
【ウゴウゴルーガ】《みかん星人》
Youtube登録:ダンディ坊やゲーム大会
「ミカンせいじん」っていうのは、みかんに腕と脚が生えたみたいな、ちょっと不思議でかわいいキャラクターである。「ミカン星からやってきた地球侵略を企む宇宙人」という設定で、にこっと笑っているようにも見える無表情な顔が特徴だ。その表情に加えて、ユーモラスな動きやちょっぴりシュールなストーリーがあって、たくさんの人に愛されているキャラクターである。
みかんと同じ柑橘類がテーマの米津玄師のメガヒット作、「レモン」
米津玄師 Kenshi Yonezu - Lemon
Youtube登録:Kenshi Yonezu 米津玄師
芥川文学にみる、みごとな《みかん》の演出効果
忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと
芥川龍之介「蜜柑」(青空文庫)
芥川龍之介「蜜柑」は、1919年(大正8年)、雑誌「新潮」に掲載された短編小説。芥川龍之介の実体験を基にした作品である。
踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立っているのを見た。(中略)それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反らせて、何とも意味の分らない喊声を一生懸命に迸らせた。するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢いよく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。
「男と女が二人だけで山の中で蜜柑を食べている」
だれもが通り過ぎるが、二度と帰れない。
井上靖 著「晩夏」(中央公論者)
「敵はおみかん食べている」男と女が二人だけで山の中で蜜柑を食べている以上、きっと何事か始まるに違いないと思った――。(「白い街道」より)若い男女を「敵」と見なして偵察するたわいない遊び、美しい少女への憧れ、そして覚えず垣間見た大人の世界……。誰もが通り過ぎるが、二度と帰れない〝あの日々〟の揺らぐ心を鋭敏な感性でとらえた、叙情あふれる十五篇。みかんを登場させ、ストーリー展開をなめらかに表現している。香り高いみかんの存在効果が心理描写として抒情的にあらわされている。
五月待つ花橘の香をかげば昔の人 の袖の香ぞする
「五月待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」という『古今集』の歌から、花橘は昔の恋を思い出させる花として親しまれてきた花である。京都御所の紫宸殿にも、左近の桜と並んで右近の橘が植えられており、その姿は歴史を感じさせる。この花は、寛永13年(1636年)の『花火草』にも記されている。橘はミカン科ミカン属の常緑低木で、その香りと美しさが人々を魅了してきた植物である。
みかんについて考察してきたところ、みかんは古くから愛されてきたことが確認できた。栄養効果が高く、風邪の予防や抗酸化的効果もしられてきている。また香り高く口当たりのいいことから、近年、みかんのデザートや料理のレシピも多彩に開発されている。愛らしい色彩やデザインも好まれる要素になっている。かわいいみかんは暮らしの近くに存在してきた。和歌や小説など文学や音楽、童謡やゲームの素材としても好まれてきた。そろそろ冬本番を迎える季節。クリスマスや正月には家族や友達と集まる機会も多い。そんなときには、みかんのさわやかな香りで2024年の最後を飾りたい。どうか、ひときわやさしい時間をご満喫ください。