「なんとなくやる気しない」から抜け出すためにやっていることやったこと
こんにちは、臼井です。
noteって不思議なもので、ある程度書きたいことと、その構成を考えてから書いちゃいるのですが、書いているうちに、「あ、こっちのほうが書きたい」とか思って書くことが変わります。
昨日に至っては、逃げるのは「出元」と「行先」があるって書いたのに、「出元」だけ書いて終わってしまいました笑
仕事で(まあこれも仕事の一環ではありますが自分の自由領域ではあるので)それやったらぼこぼこに指摘されますので気を付けましょう。
で、じゃあ今日は「行先」について書くのかと思いきや書かないんだなあ。
まじめな話、こうした自由度が高いのが個人で書くブログの魅力でもあると思ったりします(言い訳)
ネタがないのですが
こうやってnoteも連続で書き始めて2週間を超えました。そうなると、継続を止めたくなくて何とか書こうと思うように気持ちも変化してきます。
ですが、ネタとして「書くことがない…」となってしまうことはやっぱりあって、それが結構困ります。
継続のために継続する、という手段の目的化はあまり好きではないので、何か書き記したいところではあるのですが、不定期でこうなることが私の場合はよくあります。
で、こういうときは結構気を付けポイントなのを、私はこれまでの自身の歴史から知っています。
なぜ書くことがないのか
では、いっそのことこの状況を利用して書いてみようと。
そもそも、どういうときに「書けないなあ」と私はなるのかと。
1)現状を維持したくなる
前にも書いたのですが、人間にはメカニズムとして現状を維持したくなる仕組みがあると言われています。
本当か嘘か、科学的な根拠などありませんが、経験的にそうとしか思えない場面に幾度となく遭遇してきたので、私はこの説を信じてます。
「自分の意思が弱いだけ」という意見もあるとは思いますが、意思が弱いと自分を責めたところで特に何の発展も見込めないですから、そういうことにしておいてます。
要は、それを知ったうえでどうするか、のほうが大事ですし。
私の場合、この現状維持の仕組みが働くときは、いくつかパターンがあって、
・意味もなく「飽きた」となる
・体調が悪くなる
・(書くの場合は)ネタが無くなったと感じる
だいたいこの辺り。
2番目の体調が悪くなる、というのは本当にあって、特にダイエットとかしていると謎に風邪をひき、そしてそれが長引いて、トレーニングがいつの間にか止まっていたりします。
筋肉痛が無駄に長い、とかもたまーにあります。
病院行っても特に何もないので、もうこれは現状維持をしろと体が言っているのだと。
「嫌だ」
なので、無理矢理にでも継続しているとそのうち無くなっていったりします。
何を現状維持するかが切り替わるからだと思います。
だいたいどれくらいで入れ替わるのか定かじゃないですが、やっていることへの真剣度によって変動する気がしてます。
2)なんとなく1日を過ごしている
そして、次のパターンがこれ。
仕事というのは、捉え方云々はありますが、それなりに忙しいもので、次から次にやってくることも多い。
そうなると、目のまえの仕事を捌くので手一杯になってしまって、日々の感情や思考をスルーしてしまう率が高まります。
そうなっていると、仕事のほうのクオリティもどうなんだ?という疑問は後から生まれてくることもあるし、スルーしてるからいわゆる「ネタ」も浮かばないくらいになってしまう。
だから、良いパフォーマンスのためには、それなりの余裕と余白も大事なんだよなと思いますし、目の前で日々起きていることを、簡単にスルーせずに捕まえて、思考力を高めるためにも考え続けることはやりたいところ。
仕事って、こなすものではないですしね。
そういう意味では、時間的な余裕も、気持ち的な余裕も、生み出すこと自体が仕事と言えるのかもしれないです。
なので、「その飽きた感じとか、体調不良とかは習慣化の過程の障害でしかないから、時間と気持ちの余裕作ってやりきそろうぜ」
というマッチョが過ぎることを言いたいわけではなくて。
やれないものはやれない、というときだって、ないものはない、というときだって人ですからあると思う。
それに抗うことが必要なことはありますが、どう抗うかが問題で。
今回、こうして久しぶりにブログ継続に関して現状維持が働きそうになったので、じゃあどうするかなーと改めて考えてみたのですが、いくつかあるなと。
まずは自分の傾向を知る
最初は、やっぱり自分のこうした性質を知るって大事だと思うんですよね。
どういうときにスイッチが入り、どういうときにオフになるのか。
「なんとなく」でスルーしっぱなしにしていると、現状維持の再現性ががんがん高まっていくだけで、良い仕事にもつながらなくなる可能性があります。
当然、成長だって止まりかねない。
だから、まずは己を知ること。
どんな小さいことだっていいと思うんですよね。
私みたいに、「体調悪くなる」と自覚することだってそうなったらどうするって対策を考えようとすることはできる時点で、一歩進んだといえるはず。
いいんです。小さいことだって己を知る。
孫氏だって「己を知る」ことは戦略を構築するときには重要な要素だって言っているじゃないですか。
今日やったこととそれに対しての感情を言語化する
最近やっているんですけどね。
毎日、起きたことをメモして、それに対して何を考えたかや思ったかを書くようにしてます。
2、3個とかでいいんですよ。
で、「なんでだろう、なんでだろう?」とテツ&トモをYouTubeで見ながら考える。明確なつながりなんて知らん、でいいと思うんですよね。
こうやっていると、まあだいたい自分が何考えて仕事してるかとかが、徐々につかめてくるし、案外スルーしてたけどチャンスが来てたかも?と捉えなおすこともできたりします。
最近は、「今日、自分に訪れたチャンスはなにか?」という問いがマイブームです。
スルーしてたとしても、アンテナが立つようになるので徐々に捕まえられるようになってくるし、そのチャンスに対してどう反応しているかもわかるじゃないですか。
掴むもよし、スルーするもよしなのですが、「掴みたかったのにスルーしてた」はまず気づくことからですからね。
気づけば、触ることはできるようになる。
鬼滅でやってた「機能回復訓練」みたいなものですよ。
能書きはいい、やれ
で、最後は精神論ゴリゴリになっちゃうのですが、結局「ごちゃごちゃうるせえやれ」というところに、最後には行きつくんですよね。
別にやりたくもないことなら、やめてしまえばいいですが、やりたいことのために超えるべき最後のやりたくないことなら、捉え方を変えるでもなんでもなにかはやらざるを得ないところに来る。
その時、「やりたくない本当の理由は何だろうか?」とか問うことが、おそらく最も無意味なことで。
なぜなら、「そんなものはない。言い訳。」というフィードバックで終わるからです。
覚悟を決めよ。そしてやれ。
最後はもうこれしかないんだなって。
私は、GACKT様を尊敬しているのですが、彼のトレーニングはものすごいですよ。
そして、一緒にトレーニングしている人たちに対して容赦ないのですが、本気度が高いなら、極端に言うとそれに付いていくしかないんだなと思わされます。
楽しんでやれればもちろん良いけどね。
でも、その最後のハードルを越える秘訣があるとすれば、「信頼できる人と約束をすること」があると思います。
GACKT様のトレーニングもそうだし、コーチングのクライアントさんもそう。
信頼する人との約束は、是が非でも守りたくなりますから。
私は、マイコーチとの約束を守りたいし、クライアントさんとの約束を守りたい。
そうあることを、自分のコーチ像の基本に起きたいし、そうすることが信頼関係を育むと思うから。
だから、どうしてもやりたいことがあって、実現したいことがあって、2021年こそ…!!
と思っているそこのあなた!
ぜひ私と約束を交わしましょうよ。
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