ジャッジをしないという肯定感
こんにちは!
社交的な人見知りです。
私は普段、ある高校の部活指導も行っています。
とてもマイナーな武道のスポーツで、
1年生のうちは礼儀作法や、物の扱い方、防具の付け方など覚えることがたくさんです。
自分の身体や心と向き合うことが多く、
生徒の口からはとにかく「難しい!」という言葉が出てきます。
でもそれ以上に気になるのは、生徒の言葉のクセです。
ジャッジするクセが思い込みを強くする
「私ってネガティブなんです。」
「物覚えが悪くて、勉強もできないし、ダメですよね。」
「みんなより背も小さいし、下手くそなので。」
こんな言葉をよく耳にします。
自分を過小評価したり、比較した発言がとても気になります。
自分の短所はいくらでも出てくるのに、長所は全然言葉として出てきません。(自分もそうだったと思いますが。笑)
でも人には優しい子が多いのです。
自分に対してネガティブな発言が多い子は、褒めてもなかなか受け取ってくれません。
「今の凄くよかったね!」と伝えても
→「いえ、自分なんてみんなに比べたら全然下手くそです。」とか
→「でもまだここもダメだし、ここもダメですよね。」とか、
「でも」や「しかし」のような逆説から話し始めるクセがついています。
繰り返し「自分はネガティブだ」「まだまだダメだ」と言葉にすることで、自分の正当な成長や強みに気づきにくくなってしまうんですね。
思い込みの枠を外す
これまでの生活の中で、生徒たちの中に、ネガティブ=悪いことという概念が染み込んでいたり、「自分はネガティブ」ということに言い慣れてしまっていたりするような気がします。
なので、わざと彼女たちにこう言います。
ところでネガティブって悪いことなの?
生徒たちは困った顔をして、しばらく考えます。
ネガティブは当然悪いことなのでは?
だってポジティブな方がいいのでは…。
ネガティブだからこそ、最悪な事態を想定していろいろな準備が出来たり、
「このままじゃいけない!」と頑張る原動力にもなったりする。
ネガティブでもイイこともあるのです。
人間だから、ネガティブな時もある。それだけのことです。
ジャッジせずにそのまま認めること
行動の結果にいたるまでの経緯を見ると
行動の意思→行動→行動の結果
行動の結果に対する評価ばかりを気にしてしまうと、
その前段階の過程もすべて「よかったか」「ダメだったか」の二極化してしまいます。
そして評価というのは、誰かの価値観に基づいたもので事実とは異なります。
まずは、行動しようとしたこと。そして行動に移したことを評価せずそのまま認めることです。
グレーゾーンも含めて、それさえも自分の一部であると認めること。
自分は、今現在、そういう状態であることを認めること。
そこに評価は含みません。
こんなことで風邪を引くなんて、自己管理がなっていない証拠だ。
なんて、わざわざ自分を貶める評価を付け足すことはありません。
ありのままの状態を認めること。
大切なのは、今この状態からどうなりたいのか?ということです。
そしてまた、結果は結果でしかないということ。
重ねて言いますが、大切なのはそこからどうしたいのか?ということです。
いい、悪いのどちらかだけでは苦しくなってしまいます。
ぜひジャッジをしないという肯定感を持ってほしいと思います。
ではまたお会いしましょう^^
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