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パーソナリティ理論③「価値の条件と不一致」編
1.「価値の条件」
前回『パーソナリティ理論②「自己の発達」編』の『3.愛情の関わり』で、「自分になにかあっても、他者が大切にしてくれて安心させてくれる」というような体験を「肯定的な配慮positive regard」として解説しました。
今回は、その次の段階についてです。
一言でいうと、肯定的配慮が条件つきで得られるようになっていく、というものです。
詳しくみていきましょう
1-1.愛や拒否を手がかりに成長する
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幼児は保護者とのやりとりから「肯定的配慮」という、いわゆる愛情を求めることを学んでいきます。
愛情は、落ち着きや喜びなど、深い充足感が得られます。そして、自分が愛情を受けているかどうかを知るためには、母親の顔や身振りなどの、はっきりしない手がかりを観察しなければなりません。
そこから断片的に得られるわずかな情報を集め、保護者にどのように見られているかという、見られ方についての全体的なまとまりを形成します。その情報は、感覚的な理解によるところが多いため、概念または自己概念と呼びます。
その概念のまとまりは、愛情や拒否などの一つ一つの新しい体験から、絶えず更新されていきます。
ここでの拒否とは、幼児のある特定の行動について、保護者が承認しない態度を示すことを指し、幼児はその認めてもらえなかった体験をしっかり認識します。
幼児にとっては、認めてもらえないという体験は、保護なしに生きていくという重大な問題につながるため、純粋な好き嫌いといった有機的価値づけやそこから表れる欲求よりも、強い影響力を持ちます。
このような体験から得られる手がかりをもとに、保護者の愛を得る可能性があるかどうかについての良し悪しを作っていきます。
1-2.「価値の条件」で自己評価をする
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良し悪しを概念として持つようになった幼児は、今度はそれを基準にして、自己評価をするようになります。
たとえば、ある幼児が食事中に遊びはじめて食べ物を床に落とした場合、それを保護者が「あーあ、落としちゃダメだよ」と行動を認めない態度を示すと、その態度を自分のものとした幼児が、食べ物をまた落としたときに、今度は幼児自ら「あーあ」と否定的な評価をするようになります。
つまり、実際に保護者からの態度が示されなくても、同様の態度を自分自身に向けて、心理的にネガティブを体験するようになるのです。
整理すると、有機的価値づけによる評価としては、面白さや好奇心をくすぐる行動であっても、保護者の否定的な態度から学習した価値によって、自らネガティブな評価をするようになったり、自分にとって嫌なこととして意味づけるようになります。
また、有機的価値づけにもとづくと、退屈であったり嫌なことでも、保護者が褒めたりなどの態度を示すことで、幼児はその関わりから概念を形成し、それを学習した価値として、ポジティブな自己評価をするようにもなります。
こうした学んだ価値によって、幼児の行動も変わっていきます。それは、より良い自己評価が自ら下せるよう行動を変えたり、悪い自己評価を避けるために行動をコントロールするように成長していくことにつながっていくのです。
ここまで発達してくると、幼児が自分で自分を承認できる条件が備わったといえることから「価値の条件condtions of worth」を獲得したということができます(1)。
2.自己と経験の不一致の発達
2-1.「価値の条件」に従う
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「価値の条件」ができあがると、そこから良し悪しの自己評価がなされるようになることをみてきました。
さらに、その自己評価は論理的な評価というより、今まさに自身が経験していることが、ポジティブな体験なのかネガティブな体験なのかという、心理的な体験評価になります。
ポジティブな体験であれば、自分で自分を安心させることができ、なおかつ大切にすることができている、と感じられる「自己配慮」を味わえます。
自己配慮による安心感を伴いながら、より一層目の前の現実を、落ち着きのなかでこまやかに観察し、正確に認識できるよう輪郭化することを意味する「象徴化」も、できるようになります。
しかし、ネガティブな体験の場合は、単に自己配慮を味わえないだけではなく、保護者なしで生きるという幼児にとっての脅威を連想する感情体験に直面することになります。
このようにして、価値の条件に従ってその経験がどのような体験なのかを評価するようになると、同時に傷つきやすさが形成されたことになります。
大人でも「やってしまった...」という経験についての強い心理的評価を体験しますが、幼児はまだ、強いネガティブな感情を十分に味わえるほどの自己概念を持っていません。
この場合、「価値の条件」に反したネガティブな体験は、意識にのぼらないようにする心理的現象が作用します。
たとえば、食事中に好奇心から食べ物をテーブルから落とした場合、過去に保護者から「あーあ、落としちゃダメだよ」と拒否されたことから、それを自己評価として持っているので「価値の条件」に反することをしたということになります。そのままではネガティブな体験となり、生存の脅威にさらされてしまうので、食べ物を落としたということをなかったことにして、食事に戻ることで「ちゃんと食べていて偉いね」などの過去の保護者の態度から得た「価値の条件」に合う行動を取ります。
または、食べ物を好奇心で落としたのではなく、意図せず落としてしまったのだということにしようとします。つまり、部分的になかったことにしているわけです。
このようにして、自身の行ったことの全体か一部を、否定して意識にのぼらないようになります。
次第に、純粋に行おうとしていることを、事前に「価値の条件」からの自己評価によって、実際の行動に移さないというコントロールをするようになります。
2-2.「不一致」
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ここまでみてきたように、「価値の条件」による自己評価がはじまると、自分の経験をなかったことにしたり、別の意味合いにすり替えたりなど、実際の経験とのズレが起きます。
これを自己と実際の経験の「不一致」と呼びます。
この不一致が起きることで、自分が純粋にしていた経験も、なかったことになるので、そこからの自己概念の形成も進まなくなります。
もし、経験を受け入れることができていたら、その経験から体験を明確に輪郭化する象徴化が起こり「なんでも思ったことを試すのは面白いことだ」というような好奇心に富んだ自己概念が形成されるかもしれません。
経験を否定した場合は、このような自身の性質を概念化してパーソナリティに組み込むという流れが、滞ってしまうのです。
その代わりに、自身の性質理解ではない自己概念が、パーソナリティに組み込まれることになります。
「価値の条件」に合うような自己概念を作って、自身のパーソナリティとしていくのです。
たとえば、先ほどの食べ物を落としたということをなかったことにした例では、食事に戻ることで「ちゃんと食べていて偉いね」などの過去の保護者の態度から得た「価値の条件」に合う行動を取る、というものがありました。
この体験から、特に食べたくて食べているわけでもないけれど、「価値の条件」に合っていることで、ポジティブな評価を感じることができます。
そのため、「自分は食事をきちんと取る人間だ」という「価値の条件」に寄せた自身の性質理解を作り、それを自己概念とします。
このように、「価値の条件」に寄せた自己概念が使われることで、脅威にさらされることなく、自分を維持することができます。
一方で、実際の欲求がなかったことになっているので、不一致の状態といえます。
加えて、自己評価にもとづいて、自身の行動をコントロールするようにもなるので、自由に試してみたいという欲求などを、直接的に抑えることになります。
このことからも、不一致は欲求不満を蓄積することにつながることがいえます。
この条件を守れるなら自由にしてもいいよ、という新たな「価値の条件」を、社会との関わりから自己概念として作ることができれば、欲求不満も解消できるかもしれません。しかしながら、社会との関わりから「価値の条件」を新たに作って、それに従っているだけでは、また新たな自己評価によってコントロールすることが増えてしまい、さらなる欲求不満も生み出しやすくなり、がんじがらめになっていきます。
このことについて提唱者のロジャーズは、とても有意義な解説をしています。少し長いですが、以下に引用します。
パースナリティは、このようになると統一を欠き、いろいろな部分に分かれ、それにともなって緊張と不適当な機能が起こるようになる。これはわれわれが理解しているように、人間のなかに起こる基本的な疎外(estrangement)である。彼は自分自身に忠実でなくなる。すなわち、経験についての自分自身の有機体的な価値づけに対して、忠実でなくなってしまい、他人の肯定的な配慮を保ちたいために、自分が経験する価値を偽り、ただ他人にとっての価値にもとづいてのみ知覚するようになる。しかし、これは意識的に選択してこのようになったものではなくて、幼児期における自然なーーそして悲劇的なーー発達なのである。心理的成熟に向かって発達する道、すなわち、セラピィの筋道は、人間の機能のなかにあるこの疎外を解放することであり、価値の条件を解消することであり、経験と一致している自己を達成することであり、行動の調整者としての統一された有機体的価値づけの過程を回復することなのである。(2)
引用で示しているように、「価値の条件」を解消する方向性が考えられています。
そもそも「価値の条件」は、自分への条件つきの肯定的配慮、つまり「この条件を満たしている限り、自分は自分を大切にすることができる」というものです。
条件を満たしても満たされなくても、脅威にさらされないパーソナリティに発達することが好ましいといえます。
このことについて、ロジャーズは以下のように論じています。
もしある人が、「無条件の肯定的配慮」だけを経験するような場合があるとすれば、「価値の条件」はまったく発達しないであろうし、自己配慮は条件ぬきのものになるであろう。また肯定的な配慮と自己配慮を求める欲求は、決して有機体的な評価(organismic evaluation)と食い違ってくるというようなことはないであろう。そしてその人は、心理的に適応し続けるであろうし、十分に機能していくであろう。この一連の事柄は、仮説としては可能である。だから、理論的には重要なものである。しかしそのようなことは、現実には起こりそうに思えない。(3)
以上の仮説のように、条件つきの自己配慮がない方が、生きやすさにつながるといえますが、現代社会を生きる大人が子育てをするうえで、どうしても社会にある「価値の条件」が、子供にまで影響してしまうことを考えると、誰しもが条件つきの自己配慮を伴ってしまうことがわかります。
それでもこの仮説は、ロジャーズも示唆しているように、パーソンセンタード・アプローチにおいて、クライアントの「価値の条件」を減少させていくため、無条件の肯定的配慮が欠かせないことを理解するのに、大いに役立つものとなっています。
【引用文献】
(1)Rogers,C.伊東博(編訳)1967,パーソナリティの理論,クライエント中心療法の立場から発展したセラピィ、パーソナリティおよび対人関係の理論,ロージァズ全集8,パースナリティ理論,岩崎学術出版社,p.230.
(2)Rogers,C.伊東博(編訳)1967,パーソナリティの理論,クライエント中心療法の立場から発展したセラピィ、パーソナリティおよび対人関係の理論,ロージァズ全集8,パースナリティ理論,岩崎学術出版社,pp.232-233.
(3)Rogers,C.伊東博(編訳)1967,パーソナリティの理論,クライエント中心療法の立場から発展したセラピィ、パーソナリティおよび対人関係の理論,ロージァズ全集8,パースナリティ理論,岩崎学術出版社,p.231.