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彼女はただただ彼女として生きていた 恐らくはジミーと同じように

青海エイミーさんの小説「ジミー」を読んだ。

クラウドファンディングに参加して
読むのをとっても楽しみにしていた小説。



ゆっくり読みたくて、
届いてからしばらくたってしまったけれど

この表紙みたいな青空が広がった
5月の天気の良い日の昼下がり、
わくわくしながらページを開き、その日のうちに読み終えた。


この小説は
高校生の女の子、マイと、
マイの高校に編入してきた帰国子女の男の子、ジミーのものがたり。

ふたりの内側の感情に
これまでの自分を重ねながら読んだ。

 自分をジャッジすることなく
まっすぐみてくれるジミーに
マイは救われたと思うし、

 ジミーもまた
自分に関心をもってくれるマイに
救われたんだろうな

ふたりが出会えてよかった、としみじみ思って
あたたかな気持ちで本をとじた。

大切なことがたくさんつまったものがたりだと思った。

読み終えてしばらくたったきのう、
ふと中学時代の友人を思い出した。


その前に、前提として当時のわたしの中学の環境(というと大げさだけど)について書いておきたい。

わたしの中学はあのころ、
部活もそうだったけれど、
学校全体として学年の上下関係が厳しくて、
学年間で校則とは別の『謎のルール』wがいろいろ存在した。

なんか、もうほんと変な話で
笑っちゃうのだけど、

下級生は髪の毛を編み込みにしてはいけかったり
ポニーテールもだめ(校則はOK)

制服のリボンのリボン結びを
小さく結んでいいのは上級生だけで、
靴下も下級生はしっかり三つ折り、くるぶしがみえていいのは上級生だけ。

スカートとかかばんの持ち方とか
ジャージの着こなし方(笑)とか
ほかにもいろいろあった。

(今、自分がこんなに思い出せる、ということが
また笑っちゃうんだけれど)

要は、「かわいくできる(それがかわいいかどうかは今となっては謎だけど)のは上級生だけ」
下級生は洒落っ気をだしてはいけない、というルール笑

そのルールに即していないとどうなるか、というと
先輩に目をつけられる。

ときどきいわゆる不良な先輩がやってきて目を光らせてもいたし、目をつけられると、ちょっとついてこいよ、みたいにと呼び出される、という。。

(でも暴力はなかったと思うし、「生意気なんだよ」と威圧される程度だったと思う。←それももちろんよくないけど)


前置きが長くなったが、そんな環境だった。

で、ほとんどの人が
この”なんだこれ、なルール”の中で
それを受け入れ中学時代を送っていたのだけれど、

唯一、そんなルールなんて関係ない同級生がいた。

それがKちゃんだった。

といっても、彼女は抗っていたわけじゃない。

興味がなかったんだと思う。

そんなスタンスでいた彼女は
たぶん先輩の呼び出しもあったはずだけど、

そもそもそのカーストを受け入れてもなく関係もない彼女には、オラオラな感じのw先輩たちものれんに腕押し、だったんだと思う笑


「ねぇどうしてKちゃんはそうしていられるの?」

中学生だったわたしが
実際聞いたかどうかは忘れた。


だけど、聞いたところでKちゃんは、
「え?どうしてって、どうして?」
って微笑んだと思う。

そのくらい、彼女にとって、
それが自然だったから。

そんな風に思い出していたときに、

Kちゃんと、ジミーが重なった。

Kちゃんがそうだったように
ジミーもまた周りに流されることなく
自分に抗わず生きていた。

たとえばジミーは、
編入してきた高校のクラスでの挨拶で
本名ではない名前、「ジミー」と名乗った。

皆が注目する中、彼は真剣な顔で言った。
「ジミーです」

笑わせようとしたわけではない。

あとでマイの

「どうしてジミーっていうの。本名じゃないでしょ」

というの問いに

「そのほうが、僕が、気分がいいんです。」
「僕には、ジミーの方が、本当の名前のような気がします」

と話した。


そう思っているから
「ジミーです」と名乗る。

周りがどう思うか、よりも、それが自然。

ジミーは自分を生きている。


だから、周りに流されないし
周りをジャッジしたり
誰かの上にたとうだなんて思わない。


Kちゃんも、そうだった思う。

彼女はあのころから大人びていたけれど、わたし含め、まわりの同級生たちの“その年齢なりの幼さ”をばかにするようなこともなかったし、いつもフラットだった。みんなで一緒に遊んだし、一緒に笑った。それに違和感はなかったと思う。

Kちゃんは、いつでもKちゃんそのものだった。


そんなKちゃんのまっすぐな目や穏やかな笑顔、
その在り方によって、

あのころのわたしも
手放せたものがあったのかもしれないな、
とふと思った。


マイがジミーといることで、
これまでとらわれていたいろいろから
解放されたのとおなじように。


だって、わたし
中学校の頃、自分が少し好きだった^^
その前よりも、そのあとよりも。

他にもいろいろあったしそれだけではなかったとは思うけれど、Kちゃんの在り方に意識せずとも自分を整えることができていたのかもしれないなぁと、思った。



そんな彼女とは卒業してから会うことはなくなってしまったのだけれど、10年くらい前かな、地元で偶然再会した。

久しぶりだね、と微笑む彼女の笑顔は
びっくりするくらいあのときのままで

たぶん彼女は、あのころのまま、彼女そのものを生きてきたんだろう、


そう思わせる穏やかな、優しい笑顔だった。


「ジミー」きっと多くの人が
いつかの自分に出会うものがたりだと思います。


この動画もとても素敵。



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