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子供に○○を買ってと言われたら、、、
子育てをしていると、子供に「○○○買って!」と言われることはしょっちゅうある。
「アイス買って!」「ゲーム買って」から始まり、
「靴買って!」「鞄買って!」「パソコン買って」「車買って!」と年齢が上がるにつれて、子供の欲しいものは高額になっていく。
そんな時みなさんは、どう対応してますか?
ある雑誌に、桂小金治さんが父親に「ハーモニカ買って!」とねだった時の話が書かれていた。
注)致知出版社刊 1日1話より引用
友達の家に遊びに行ったら、ハーモニカが置いてあり、吹かせてもらったらすごく上手に吹けたので楽しくなって父親に「ハーモニカ買って!」とねだってみた。
すると父親は
「いい音ならこれで出せ」
榊の葉で「ふるさと」を吹いてみせた。草笛ですね。
そしてこう言う。
「俺にできてお前にできないわけはない」
小金治少年は、草笛の練習を始めるのですが、曲はおろか音すら出ない。
これは無理だと諦めてしまった。
そんな時、父親が
「おまえ悔しくないのか。俺は吹けるがおまえは吹けない。おまえは俺に負けたんだぞ」
と根性なし宣告をしたうえに
「一念発起は誰でもする。実行、努力までならみんなする。そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。一歩抜きん出るには努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。この棒に花が咲くんだ」
と伝えた。
ここまで読んで、父親たるものそうやって子供にハードルを与えるんだ、と感心した。
同時に自分だったら、どうしていただろう? と考えた。
きっと、
「ハーモニカ! 素敵じゃない! 楽器がある人生ってとっても素敵だと思う! パパは楽器ができなかったから。買いに行こう!」
と言っていたと思う。
私にも似たような出来事が実際にあった。
娘が、妻の実家にあったアコースティックギターに興味を示し、つまびいていました。
楽しそうに弦を弾く娘を見て義母は「持ってってもいいわよ」
喜んで持ち帰ったギターを弾いては見たものの、緩んでいる弦もあってうまく弾けなかった。
楽器屋さんに持ち込んで調整をお願いすることにした。
しかし楽器屋さんは
「ネックにヒビが入っているので、弦が締められない。締めたら折れてしまう可能性がある」
せっかくもらってきた、母のお下がりが使い物にならないと聞いて、娘は大層がっかりしていた。
しばらく放置されていたのですが、娘がある日
「やっぱり、ギターを弾いてみたい」
と言ってきたことをきっかけに、
「楽器が弾けるって素敵なことだと思う。パパは何も弾けなかったから。中古屋さんで良かったら今から見に行こうか?」
こうして、娘はギターを手に入れたのだが、少し練習しただけで弾かなくなってしまった。
うちには、娘が弾かなくなったエレピもあって、買ってはみたものの、家具と化してしまった楽器がもう一台増えた格好になってしまった。
そんな娘を、私は「頑張れない子だなぁ」
と思っていた。
桂小金治の父の対応はどうだったか。
ハーモニカが欲しいという息子にまず
草笛の習得を命じる。
手に入れたいものがあるなら、困難を乗り越えて来い!と障害を与える。
楽器の練習には、継続力や、辛抱がつきものだと知ってのことだろう。
金があるから「楽器」を買ってやる!のではなく
楽器を演奏するという「体験」を、その体験が必ず伴う試練とセットで与えていたんだなと気付かされた。
私は、娘がピアノで挫折したのを知りながら、それを乗り越えるさせる準備をしようとしていなかった。
ある人は、この試練のことを「神の仕事」と呼んだ。
敢えて試練を与える。一念発起する、実行する、挫折する、それでも辛抱して努力を続ける、そして乗り越える。
このプロセスを与え、乗り越える体験をさせることを「神の仕事」と呼んだのである。
小金治少年の話はこれで終わりではない。
父の一喝を受けて再び努力の上に辛抱を重ね、草笛が吹けるようになった少年は、得意になって父に吹いて聴かせる。
すると父は
「偉そうな顔をするなよ。何か一つのことができるようなった時、自分一人の手柄と思うな。世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。錐だって片手では揉めぬ」
与えられた障害を見事にクリアした小金治少年。
褒めてくれるのかと思いきや、待っていたのは感謝を教える叱責でした。
私なら、どうしたか?
もちろん、誉めていただろう。
子供を谷に突き落とす父ライオンよろしく
「よく、試練を乗り越えたな!」
と。
そこにあるのは、子供に障害という試練を与えて、乗り越えた子供を上から目線で誉めている神ポジションに座って悦に入る大人だった。
小金治さんの父は、誉めるどころか「感謝」を教えていたというのに。
自分の努力で手に入れた事に感謝を求めるのか!
私は、驚愕した。
しかし、錐の例えは説得力があった。手のひらが二つないと確かにキリは使えない!
自分の努力は、自分だけの努力ではないことに気付かせようとするとは!
父親の生き方、来し方に思いを馳せるしかなかった。
ここで感謝を説く父に、私が思い起こしたのは、東京大学の入学式で上野千鶴子名誉教授が行った祝辞だ。
「頑張ったら報われるとあなたが思えることそのものが、あなたががたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったことを忘れないようにしてください」
頑張っても報われない人たちがいくらでもいる中で、頑張れば報われると信じられる環境、勉強したいと言えばいくらでもサポートや励ましが受けられる環境、経済的に豊な環境、そうした環境があった上での努力の結果ということを肝に銘じろという指摘だ。
「自分は優秀だったから東大に受かった」なんて思うなよ!と釘を刺しているのである。
何かを成し遂げた時こそ感謝!
これを子供に語れる親がどれほどいるだろうか?
少なくとも、私は語れていなかった。
この話には、まだ続きがある。
小金治少年が目を覚ますと、枕元にハーモニカが置かれていた。
喜び勇んで父に感謝を伝えた小金治少年に父はこう言います。
「努力の上に辛抱という棒を立てたんだろ。花が咲くのは当たりめえだよ」
母にも喜びを伝えると、母はこっそりと教えてくれた。
「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。お父ちゃんが言っていた。あの子はきっと草笛が吹けるようになるからねって」
母の話を聞いて、小金治少年は大粒の涙を流したそうだ。
「信じてもらう」ことが、人をどれほど勇気付けるかは、
太宰治の名作『走れメロス』を例に引くまでもないだろう。
父親は、子供が何かを為す前に「できると信じていた」のだ。
私がコーチングの時に、最も大事にしている事がまさにこの事である。
相手は必ず、自分の中に最良の答えを見出す。
セッションを始める前にそう信じる事を大切にしている。
コーチングの成否の鍵を握ると言っても過言ではない。
なのに、私は娘を信じる事ができていなかった。
「ピアノも途中で投げ出したから、ギターも中途半端で終わるかもしれない」
今現在も、娘はギターが弾けるようにはなっていない。
私はその事実から
「娘は頑張れない子だ」
と思い込んでいた。
とんでもない間違いだった。
私が、できると信じていないから出来ていないだけなのだ。
上野千鶴子名誉教授のいう「環境」を作れていなかったのだ。
この後、小金治少年がハーモニカを吹けるようなったことを疑う人はいないだろう。
少年は、感謝を胸にハーモニカを楽しんでいるに違いない。
「ギターが欲しい!」と口走ったばかりに、父親に「頑張れない子」というレッテルを貼られてしまった娘。
一方、「ハーモニカが欲しい」と父に伝えたおかげで、神の仕事「試練」を与えられ、辛抱や努力ばかりか、感謝の大切さまで教えてもらった息子。
二つ返事で「買ってあげた」自分に、忸怩たる思いしか残らない。
子供に○○○買ってと言われた時こそ、「神の仕事」をさせていただくチャンスだったのに。