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桐島洋子が筆を折った
桐島洋子が筆を折った。
その事実にショックを受けたが、
最新刊『ペガサスの記憶』を読んで納得するほかなかった。
彼女はアルツハイマー型認知症を患っていたのだ。それも2014年から。
娘のノエルは『あとがき』の中で
「あの聡明な母が、よりによって認知症になるとは」
と書き驚きを隠さない。
返す筆で
「読者の方々も母の病気を受け入れることに時間がかかるかもしれません」
とも書いている。
「聡明な女は料理がうまい」
なんて本を著して一世を風靡した作家が、
連載の途中で認知症になり筆を折る、
予想だにしない結末だった。
桐島洋子
盧溝橋事件の前日に
三菱財閥の大番頭の孫として生まれ
大陸新報なる新聞社の社主である父の赴任で上海に移り住む。
書名は忘れたが
彼女が幼少期を過ごした上海を大人になってから訪れた時のことを書いていて
「魔都上海」と呼んでいた街に心惹かれた。
もう1箇所、彼女が再訪したイタリア・フィレンツェについて
「ここは家族にとってとても大切な街」
などと魅力的に紹介していたのを読んで、いたく心を動かされた。
実は、私が新婚旅行先にフィレンツェを選んだのも
似たような想いからだった
街中が美術館と言われるフィレンツェを
「妻との共通の思い出にしたい」という思いで訪ねてから20年
あれ以来一度もイタリアに足を踏み入れていないという現実に
今更ながら打ちのめされるのだ。
子供が産まれてからは、
「プールがないところには行きたくない!」
と騒ぎ立てる子供たちを連れて、南の海にばかり出かけていた。
古い本はほとんど売り払ってしまい、手元に残ってはいないのだけれど、
なぜか桐島洋子の本だけは捨てるに忍びなく
物陰の本棚の下の方に仕舞い込んである。
シングルマザーで子供3人!という生き方が鮮烈だったからだろうか
文藝春秋に勤めた時に
「月給と同額の家賃のマンションを借りていた」
という記述を読んで
「家賃は、月給の三分の一まで」
などと守りに入っていた自分を恥じたこともあった。
それも、気負いのない
今の私の仕事用語で言えば
「ウィズアウトジャッジ」
な生き方に心惹かれていたのかもしれない。
その上、文体はあまりに爽やかだった。
人間の苦悩を描くような作家ではなかった。
ライフスタイルを切り売りするようなところがあって
(そのせいで子供たちはしなくてもいい苦労をしたこともあったこともこの本で知った)
そんな生き方に憧れたのかもしれない。
結局、彼女のようには生きなかったけれど
なんだかんだ言って彼女の本の読者でいることを辞めないのは
彼女の生き方に魅力を感じていたからなんだろう。
子供たちも、もう
「プールのないホテルには泊まりたくない」
とは言わなくなったことだし、
本棚をひっくり返しながら
彼女の軌跡を、読み返してみようと思う。