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意識の差に自己嫌悪

先日、久しぶりに人に会う予定があった。2ヶ月くらい前から決まっていた予定で、かなり楽しみにしていた。

でも、なかなか詳細についての予定は決まらなかった。きっとみんな、このところの感染者数を見て、集まるのは難しそうだと思っているんだろうと思った。私自身も、予定は流れてしまったものと思っていた。

しかし、前日になって、急にまた話が動き始めた。みんな集まるつもりらしい。当初の人数より2名増えていた。内容は、当初の予定通り、お店で複数人集まってお酒を飲むというものだった。

意識差は人それぞれなので、集まること自体に物申すつもりはなかったが、自分が今複数人でお店に行ってお酒を飲むと言うことを許せず、行くのを断念した。

人によっては人と会わずに過ごすことで心の健康を崩してしまう人もいるだろうし、お客さんが来ずに閉店するお店のことを考えたら大きな声で批判することはできない。

でも、緊急事態宣言も明けていなければ、十分な医療が受けられずに亡くなる方がいる中で、感染リスクの高いことをするのは私にはできなかった。せめて誰かの家で集まるというのであれば良かったのだけど。

これは、ただ私の感覚でしかない。みる人がみたら、私が頻繁にカフェに作業をしに行っているのだってどうかと思うだろうし、人それぞれ感染対策に対する意識が違うことは仕方のないことなのだ。

断りの連絡を入れた後で、少し後悔した。自分の感染対策への意識を一旦捨ててしまっていれば、楽しい時間が過ごせたかもしれないと思った。こういう時に人と会うことを選択できる人を羨ましいとも思った。

今回集まりに参加できなかったことは、かなり精神的に応えた。

ただ、参加していたら参加していたで、「もし自分が感染していたらどうしよう」と悩むのは目に見えている。どちらの選択肢を選んだところで、今のように変えられない過去の行いを悔やんでいただろう。

それでもやっぱり、みんなと一緒に楽しい時間を過ごしたかった気持ちは拭きれない。誰も悪くないのに、自分を責めてしまいそうになる。

ここ最近は、感染対策への意識の差によって悩まされることがすごく多い。一方からは「外出はなるべくしないように」と言われるのに、もう一方からは、「ちょっとくらい大丈夫」と酒を提供している居酒屋に誘われる。

揺るがない自分を持つなんて、自分を律することが苦手な私にとってはすごく難しい。かと言って、流されるまま流されてしまっては、自己嫌悪が強まってしまう。

ここ数日間私の心を占拠している得体の知れない不安の正体は、他人との感覚の差によるものだったのかも知れない。

しかし、交友関係の広い人は、もっと多くの価値観と触れ合いながら生きているのかと思うと、目眩がしそうになる。私は人付き合いがほとんどないから、そのような折衝に慣れていないだけかも知れないけど。

なんかすごく疲れてしまっている。誰も悪くないはずなのに。

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