もしかするとこれは愛で
日常と非日常を行ったり来たりしながら心も揺れて、真っ直ぐではないけれど、確実に先へ進んできている。そんなことを今感じる。
「人」がすごく好きで、コミュニケーション自体は得意なはずなのに、誰かと新しい関係性を紡ぐ段階を作業として苦しく感じてきた。作業と思うなよ、と言われてしまうかもしれないが、人間と人間はやはり努力で結ばれていくものだと思う。
私は自分勝手な人間であるけれど、誰かを傷つけることは大の苦手だし、人に気まずい思いをさせるくらいなら自分で飲み込むほうがマシと感じるタイプだ。相手を大事にしたいと思えば思うほど、こういうことを頭でこねくり回してしまう。嫌われたくない、優しくしたい、それならどうしたらいい。綺麗な人にはなれないが、相手には綺麗だと思われたい。見た目もだけれど、中身の話だ。本当は上手く機能していない取り繕った部分、さらけ出せるようになるまではかなり時間がかかる。ありのままでいいのよと説いている身とは思えない口ぶりだが、そうやって生きてきた。いっぱい考えるうちに何が正しいのかわからなくなり、面倒になる。私が抱える生きづらさだと思う。
そういう諸々が、だんだんとほぐれてきた実感がある。自分の力ではどうしようもなかったのに、「いいよいいよ、そのまんまでいいよ」と全部包み込んでくれた人のおかげだ。大丈夫だよやってごらん、ゆっくりでいいよ待つよ、その話聞かせて。声から、言葉から、態度から、いつだって私を受け止めようとしてくれていることが伝わる。こんなに安心できたことも、こんなに優しくしてもらえたことも今までない。「ここにいるよ、そばにいるよ」を全力でやってくれる。全身綺麗に仕上げられた人形でなくてもいいか、と昔より思える。
あぁ、私にこんな日が来るなんて。
100%を委ねることはできない。幸福の反動が恐ろしい私はいつだって予防線を張ってしまう。そうでなくても、自分の人生の舵は自分で取るべきだとわかっている。だからこそ、今はこの人と一緒にいたい。そしてその日々ができるだけ長く続けばいいと心の底から願っている。
感謝を直接伝えるには、まだまだ素直さが足りないから。不甲斐なさに項垂れつつ、貰ったやさしさの記録として文字を打つ。