竹田青嗣『哲学とは何か』を読む【第一章】
0.はじめに
竹田によれば、現代哲学は、主にポストモダン思想や相対主義者らによって、哲学の「本義」が見失われ、哲学の目指すべき「原理を探求する」という部分が全くもって相対化されてしまっている。
これは、20世紀中葉から後半にかけて、マルクス主義が味わった一連の挫折を機に止まることを知らない。マルクス主義がもたらした共産主義の挫折は、いわば「これこそが正しい認識だ」という主張に思想的抵抗をもたらすきっかけになったと言っていい。
なぜなら、このような「これこそが正しい認識だ」という主張は、これと対立する「これこそが正しい認識だ」という主張とどこかで必ず対立し、暴力を伴う混乱へと移行することが必至だからある。
ことほど左様に、このような思想的、政治的経緯をよく知る哲学者・思想家らは「これこそが正しい認識だ」あるいは「人間はかくあるべき」「社会はかくあるべき」という主張に対して、多くの思想家らが抵抗感を示し始めたのだ。
曰く、「この世に絶対的に正しいことなど存在しない」「価値観は人それぞれだ」というのは、日常会話でも側聞する。
21世紀のバズワードである「多様性」というのは差し当たりこの意味を含意してしまうきらいがあると言える。
しかし、特に近代哲学は、現代社会に生きる私たちに「自由」や「平等」などというような「社会の設計図」を作り、完璧ではないがなるだけ幸福なうちに生きられるような仕組みをもたらした。
このような「原理」を構築するという営みは、もはや忘れ去られ、「原理」を叫ぼうものなら木っ端微塵に「相対化」されることとなった。
しかし、と竹田は言う。
1.哲学の謎と普遍認識
1.1.「三つの謎」の由来
竹田によれば、哲学者は下記のような「三つの謎」を解くために努力してきたという。この「三つの謎」は、今でも哲学者の間で膨大な数の議論がなされている。
「三つの謎」とは、竹田によれば次のようなものを指す。
この「三つの謎」を象徴するのは、ソフィストとして知られたゴルギアス(前五世紀ー前四世紀)による、存在と認識と言語の三つの論証を指す。
これを竹田は、「ゴルギアス・テーゼ」と呼称する。
この「ゴルギアス・テーゼ」に関する議論は今もなお継続している。
例えば、史上最年少の29歳でボン大学に着任し、「哲学界のロックスター」として称賛されるマルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』、イタリアの理論物理学者であるカルロ・ロヴェッリの『時間は存在しない』、日本の経営学者で内閣官房参与も歴任した田坂広志の『死は存在しない——最先端量子科学が示す新たな仮説』などがそれである。
しかし、これらはいずれも、この「ゴルギアス・テーゼ」の系譜の中にあり、「存在と認識」の一致、あるいは「認識と言語」の一致に収斂するのである。
1.2.なぜ「普遍認識は必要か」
さて、今見てきたように、哲学には「ゴルギアス・テーゼ」にまつわる膨大な数の議論が存在する。
それらは常に、「いかにして"正確な"認識は可能か」という議論と「いかにして"正確な"認識は不可能か」という議論に集約される。
それでは、なぜ哲学はこれほどにも"正確な"認識にこだわるのだろうか。
敷衍すれば、なぜ哲学は、このような普遍認識の可能性を求め、必要とするのだろうか。
竹田によれば、哲学の起源から言って、多様な考えをもつ人間が集まって、ある問題についての普遍認識を目指すのが哲学の本来の役割であったという。
例えば、古代ギリシアの哲学者たちは、この世界のアルケー(=原理)は何かという議論を活発に行なったことで知られる。
タレスは万物のアルケーは「水」であると説き、ヘラクレイトスは「火」であると説いた。最も現代と近い考え方をしていたのはデモクリトスの「原子(アトム)」である。
ことほど左様に、哲学者たちは元来、ある問題になっている事柄の「原理」を目掛け、普遍認識を図ろうとしてきたのである。
しかし、と竹田は言う。
現代哲学は、言語哲学(特に分析哲学)によって「認識と言語の不一致」が説かれ、論理学でも「存在と認識の不一致」が説かれる。
またポストモダン思想では、そもそもの考えが「相対主義」の範疇にあり、相互に対立し、解くことが難しいと考えられる概念はすぐに「脱構築」され、「普遍性」や「原理」はすぐに相対化されてしまう。
これでは、哲学がなしてきた本来的な意義である普遍認識は成立しない。
それだけでなく、この普遍認識の重要性の無理解は、哲学がなしてきた哲学の仕事に対する無理解があると言える。
その議論に入る前に、まずこの「ゴルギアス・テーゼ」は実は解かれていることを少しばかり紹介しよう。
いきなりであるが、これは主にニーチェとフッサールという偉大な哲学者たちが解明した。
この意義を哲学界だけでなく、社会にしっかりと受け止められる必要がある。
この「認識の謎」は、19・20世紀のうちに既に終焉を迎えていたのである。
それはどのようにしてか。そう早まらずに、じっくりと前提を踏まえてから論じることにしよう。