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平成版不動産屋の思い出。“ローラー物調”という修行。
僕は19歳から不動産業界に勤めている。今年でちょうど20年。
会社の電話が鳴って、僕が出ることもたまにある。
不動産業者:御社賃貸募集の●●マンションの205号室まだ空いてますか?
僕:募集中ですよ。
不動産業者:これって角部屋(片方にしか隣接する部屋が無い)ですか?
僕:そうですね。
不動産業者:日当たり良いですか??
僕:前に建物建ってますね…
きっとお客さんを目の前にして電話してきているのだろう。若い声で、すごく丁寧に確認してくる不動産業者につい、物足りなさを覚えてしまう。
僕が新人不動産屋として走り回っていたのは平成の中盤。スマホなんてまだ普及してなかった。
こんな日常のなんてことない電話のやりとりで、懐かしくも苦しかった下積み時代を思い出す。
シーズンは終わった
入社してすぐに20歳を迎えゴールデンウイークもあけると、もう完全に「シーズン(稼ぎ時)は終わった」となる。
1〜3月が引っ越しシーズンであり、4月からゴールデンウイークあたりまでは、そのおこぼれの売上(契約)があるという感じ。
これから暑い夏が来るのに、僕ら賃貸不動産仲介業には稼げない冬が来るのだ。
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平成15年の初夏。
年明けに不動産屋に就職した僕には初めての“冬“がきた。
「よし。ローラー物調の季節やな。」
そんな時に店長は言った。お客さんの数が激減する6月に入ろうとしていた。
ローラー物調
ゼンリン住宅地図をコピーして、すべての賃貸不動産の資料を更新・追加する作業が「ローラー物調」である。
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大阪・ミナミは道頓堀というまさに不動産屋激戦区で働いていた新人の僕には、ありがたくも店長より「浪速区敷津西」全域のローラー物調を命じられた。
「これをコピーして、不動産オーナーをひとつずつチェックして、物件資料を作成したらさらにマーカーで塗りつぶすんやで」
そう言って嬉しそうに店長はゼンリン住宅地図をコピーしては、僕に渡してくる。
ローラー物調とはつまり、こういうものだ。
①住所を一区画ごとに全部歩く
②賃貸不動産を見つけたらその管理会社を調べる
③管理会社に委託している様子がなければ家主に挨拶に行く(だいたい最上階に住んでる)
④家主がそこに住んでいなければ謄本を取得して調べる
⑤ゼンリン住宅地図にチェックを入れる
⑥物件のあらゆる情報を資料(物件台帳)として作成
⑦ゼンリン住宅地図をマーカーで塗りつぶす
「浪速区敷津西」というエリアだけでも膨大な量。
梅雨の時期は雨が降る。しかし、暑い日もあれば、予想外に寒い日もある。
「ジャケット着用」が絶対ルールだったクールビズを知らないブラック企業で働いていた僕にはとんでもない経験になった。
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インターホンを押して家主に挨拶すると、「不動産屋は嫌いだ」と怒鳴る人もいれば、
「おまえのところの社長が若い時から知ってる」という猛者もいたり、話が長い奥様のおかげで、会社に帰ってこっぴどく怒られることもあった。
店長
社長も19歳からこの業界に飛び込んだらしく、当時からスーパー営業マンだったらしい。不動産業界に来る前は掃除機を売ってたとか。
とにかく“勝負をかける”のが早い社長と対照的に、新人の頃同期入社した店長は“丁寧で粘り強い”営業スタイル。
入社して数ヶ月の僕も「すごい!」というような難客を粘りの営業で契約に持っていったシーンを幾度か見ていた。
決して面白くないジョークを交えながら、お客さんはどんどん和んでいき、最後は友達のようだ。
ウォシュレット希望のお客さんに、ウォシュレット設置不可の風呂トイレ一緒の物件資料を見せて
「隣のシャワーでさらっと洗えば(てへぺろ)」
とボケた時の事務所の空気は今も覚えている。
そんな店長に、ある日ローラー物調の成果として物件台帳(資料)を提出すると、「おまえ、なんで台帳に載ってる図面が一部屋しか無いん?」と言われた。
「コピーさせてください」
要は、今募集している空室の間取り図面だけでなく、物件全体の平面図をもらって(コピーして)こいと言うのだ。
初めてのローラー物調だが、僕でもこの難しさはわかる。
家主のところまで行き、「平面図をコピーさせてください」と言うと、案の定「そんな大事な物貸せるか!」と言われた。
そもそもほとんどの家主は新築時の資料なんて、in段ボールかつin押入れの奥の方。
当時は「写メ撮って、会社のパソコンで印刷して」なんて時代じゃなかった。
なんとか頼み込んで平面図を貸してくれる人が2〜3割くらい。
それでもなんとかコピーできた物件の物件台帳を店長に持っていくと、「ほぉ。ほんで??」と言われた。
悪魔のスパイラル
忘れないでほしいのが、このひとつの物件台帳にこだわっている間もローラー物調は続けなきゃいけないということだ。
暑い日も雨の日も一軒ずつ歩いては、電話なりインターホンなり鳴らし続けて、ゼンリン住宅地図のコピーにチェックを入れる作業。
チェックが増えるということは、物件台帳を作らなきゃいけない。
物件台帳を作らなきゃいけないってことは、「コピーさせてください」のハードルを超えなきゃいけない。
仕事は歩けば歩くほどに増えていく。
仕事が増えれば増えるほど、店長のため息も増えていく。
僕は自暴自棄になっていった。
反抗
僕:そもそも、お客さんが来るたびに最新の空室情報を確認して、物件情報を家主・管理会社からFAXもらってるのに、ローラー物調に意味なんてあるんすか?
店長:ほぉ。
僕:こんなことしている暇あったら、(シーズンオフで暇なんだから)お客さん集めることした方がいいと思います。
店長:ほぉ。
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もう我慢できなかった。新人のくせに、こういう弁はたつ自分のありのままが、スーパー営業マンのトークのように次々出た。
店長:じゃあ聞くけどさ。
スーパー営業マン
おう。なんでもこいよ。俺は間違ったことは言ってない。
無我夢中でまくしたてた僕に、店長は続けた。
店長:もし、お客さんの希望が「南向きで、日当たりがよくて、前に遮る建物がなくて、両隣に隣接する部屋が無い物件が良い」って言ったら、おまえいくつマンション名言えるんや?
僕:そんなの言えるわけないじゃないですか。
店長:そうか。
でも●●マンションなら5階以上の2号室ならいけるし、▲▲マンションなら1フロアーに2部屋しかない構造になってるから、1号室なら南向き、2号室なら北向きだけど、どちらの号室も両隣に部屋は無いぞ。
僕:!?
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思い返せば、この会社のオープン当初に店長が作っただろう物件台帳の裏面には「1〜4号室は東向き、5〜8号室は南向き、南側には3階建てのビル有り」などの情報が書かれていた。
全てかどうかはわからないが、店長の頭の中には物件情報ではなく、「賃貸マンションの号室ごとの情報」が入っていたのだ。
不動産屋。
この後、店長だけでなく社長にも死ぬほど怒られたのは言うまでもない。
ローラー物調に追われ、「コピーさせてください」と言うのが嫌すぎて、仕事の質をめちゃくちゃ下げていた。
しかし僕はこの時を境に、細かすぎるほどの号室情報を調べるようになった。
会社の仕事とは別に、自分の物件ノートをつけるようになった。このノートは今でも保管している。
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「クローゼットはあるが、ハンガーパイプは無い」
「ベランダ前は大きな道路」
「5階から前の建物は無いが、前の建物の屋上が近い(防犯面)」
など、細かすぎるほどに情報を仕入れ続けた。
便利になった現代でも、SUUMOなどの検索システムは検索できる条件に限度がある。
お客さんの住まいへの要望はそんなに簡単じゃない。安易に検索する前に、お客さんに不動産屋の“物知り具合”を自慢してこそ、プロだと思う。
知識と知恵
ただ、情報を集めて知らせるだけでは知識にすぎない。
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そこに、プロたる所以としての“なにか”が乗っかってこそ知恵だと思う。
知っている人に聞けば済む問題でも、自分が歩きまわって、汗かいて、怒って、やり続けてこそ、その“なにか”が乗っかってくる。
ローラー物調で学んだ「仕事とは何か」という教訓は、今でも大切にしている。
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