2.日本の「世界史」のあらすじ
そもそも「世界史」とは?
・1867年 帝国大学の文科大学(現在の文学部)に「史学」という科目を創設その際、ドイツからお雇い外国人を雇用→ルートヴィッヒ・リース(師は実証的歴史学者のダンケ)
⇒西洋史の成立
・1889 帝大で「国史」(日本史)が開始
・1907 京都帝大に「東洋史」
⇒中等教育にはそれ以前からあった
⇒侵略する国の文化を学ぶという目的があった(中国、韓国など)
⇒日本史、西洋史、東洋史の三区分が成立(これは日本独自の区分)
・1948 文科省「世界史」設置(理由は諸説あり)
・1949年度~ 高校過程で東洋、西洋史が統合され「世界史」に
⇒大学は旧3区分、高校は2区分
・1994年度~ 高校で世界史が必修に
・2006年頃 世界史の未履修問題発覚(主に私立の進学校)
⇒熊本県以外の46都道府県で計600校以上、公立約8%、私立約20%で単位不足
・2022年度~ 日本史・世界史の近代史を纏めて歴史総合(日本史A+世界史A)へ、残り(日本史B、世界史B)は歴史探究(世界史探究、日本史探究)に
⇒世界史は必修でなくなる
ここまでが、2022年度からの新学習指導要領までの日本における「世界史」のあらすじです。
これまでの日本の世界史は王朝名や権力者ばかりにフォーカスした「政治史」にとどまっており、経済史、技術史、科学史、文化史、精神史、宗教史、法制史などが軽視されているとの指摘がある。
新指導要領ではこれらの扱いについても変化する可能性がある。
あらすじの補足と小話
世界史の未履修問題
高等学校必修科目未履修問題という項目で、他の未履修問題とともにwikipediaに紹介されている。一般には世界史未履修問題との呼び方が多い。
詳細が気になる人はリンク先を見て欲しいが、簡単に言うと、
地歴・情報・理科・家庭科・芸術・保健
などの科目で、授業計画と全く異なる内容や、教科名と中身の一致しない内容を実施し、事実上、必修科目の履修ができない高校が全国で見つかったという事件である。
人数にして、8万人を超える高校生が単位不足の状態に陥ったという。
必修科目の単位が得られないということは、高卒資格を得られないということで、当然大学の受験資格を満たさなくなる。かと言って、単位を配る行為は学校教育法に違反する、超法規的措置となる、というどう転んでも丸く収まりようのない状況で、当時関係者はかなり悲惨な状態だったことが予想できる。割と大事件。
山川出版社の受験におけるシェア
・山川は受験においての出典元となることが多いため、日本の学校市場におけるシェアが大きい。その一方変化に乏しく、保守的であるとの見方もある。学会での認識の変更があった場合も、その論証が十分に終わってから、さらに10年後くらいにやっと改訂があるかどうかだという人もいる。(指導要領の改訂がおよそ10年ほどなのでそれに合わせているという側面もある)
しかし、捏造や過りについては即訂正するらしい。