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社員戦隊ホウセキ V 第2部/第37話;報われない善意

前回


 六月二十八日の月曜日、昼休憩の時だった。

 昼休憩には社員寮の食堂が社員向けに解放され、多くの社員が昼食を摂りに訪れる。十縷とおる和都かずとはその代表例だ。

 伊禰いねは滅多に食堂を利用しないのだが、この日は食堂に足を運んだ。昼休憩の時のみ、女性も男子寮の食堂を利用して良いことになっているのだが、本当に利用する女性は殆どいない。だから、食堂に現れた伊禰の姿に驚いた者は少なくなかった。

祐徳ゆうとく先生!? どうしたんですか!?」

 十縷もその驚いた一人だ。和都と一緒に居た彼は、自分の後ろに伊禰が並んだことに気付くと、目を丸くしてそう呼び掛けた。和都の反応も、十縷と同様だった。伊禰はにこやかに笑いながら、彼らに応じた。

「殿方の中に私が紛れて異様だとは思いますが、ご容赦ください。今日は一つ、野暮用がありまして…」

 野暮用とは? と十縷と和都は内容が気になったが、伊禰は明かさなかった。しかし、誰かに用事があるのだろうということは、容易に察しがついた。列に並んでいる中、伊禰はしきりに食堂を見渡していて、明らかに誰かを探していた。そしてある時、小声だが明確に「いらっしゃった!」と言った。
 やがて伊禰は食券とメニューを交換すると、ゆったりとした足取りである場所へと一直線に突き進んだ。その動向を気にする十縷と和都の視線を受けつつ伊禰が辿り着いたのは、ある人物の隣だった。

「隣、失礼致します。本日は少々、申したいことがありまして…」

 少し不機嫌そうな口調で伊禰は、迷わずそこに着席した。その席の隣に居たのは、他でもない葦田あしだ考人たかひとだった。先に昼食を食べていた彼は、伊禰が横に来ると眉を顰めた。


 彼らから少し離れた場所に座った十縷は、思わず隣の和都に言った。

「祐徳先生、あの人に用事があったんですね。って言うか、あの人誰ですか?」

 疑問だらけの十縷に対して、和都は軽く納得して頷いていた。

「あの人が葦田さんだ。前に話しただろ。中途だけど俺と同期に入社して、デザインから営業に異動した人が居るって。その人だよ」

 十縷が制作への配置替えを言い渡された時、和都は確かにこんな話をしていた。「顧客のニーズを勉強する為にデザインから営業に異動し、それから数年経った人が居る」というような話を。和都に言われて、十縷はその話を思い出した。
 しかし葦田という名前は、十縷の中では他のことで印象に残っていた。

掛鈴かけすずさんと一緒に光里ひかりちゃんのエッチな画像見てて、副社長に怒られた人だ)

 この悪印象と、伊禰が少し不機嫌そうなことが相乗効果となり、十縷に変な想像をさせる。

(あの人、またセクハラでもして、祐徳先生が怒りに来たのか?)

 かくして十縷はニヤニヤと笑いつつ、二人の動向を愉しんで眺めることにした。勿論、和都から「趣味悪いぞ」と指摘が入ったが。



 伊禰と葦田は、余り周囲の目を気にせず会話していた。

「お疲れさん。ってか、わざわざ男子の食堂に来る? そんなに俺が気になる訳?」

 隣に来た伊禰の顔を眺めつつ、葦田はそう訊ねた。伊禰は「当然です」と返す。

「鬱陶しいとは思います。それでも、放ってはおけません。この前は何も言わずに帰られましたが、ちゃんと適度な運動はされましたか? お酒は減らされてますか?」

 葦田の目が食器に向いたタイミングで、伊禰は葦田の顔を横目で見つつそう切り出した。伊禰の問に葦田は答えない。だから伊禰は、続けて言った。

「しかし今は、心配が七割で苛立ちが三割です。ドタキャンは辛うじて許すとして、無断はありませんわ。私、怒っておりますのよ」

 そう言った後、ようやく伊禰は箸を食品に伸ばし始めた。葦田は伊禰の言葉に何も返さず、黙々と食べ続けている。伊禰も一時的に言葉を止め、食事に専念し出した。暫く、二人の間には沈黙の時が流れる。



 十縷は、相変わらず二人の様子を気にしていた。

「何を喋ってるんでしょうね? 実は祐徳先生は葦田さんと付き合ってて、光里ちゃんの画像の件で怒ってるとか?」

 二人の間に漂う若干不穏な空気を察知しつつ、十縷は愚かな想像を巡らせる。そして定番の流れとして、横から和都に軽く頭を小突かれた。

「バカ言ってんじゃねえよ。付き合ってる訳ねえだろ。さっさと食え。午後の仕事に遅れたら、モーメントさんにぶっ殺されるぞ」

 和都に軽く叱られ、十縷は取り敢えず平謝りする。それでも伊禰と葦田が気になり、食べながら動向を窺い続けていた。



 伊禰と葦田は、先に食べていた葦田が先に食べ終わった。彼が合掌すると、それを待っていたかのように伊禰は言った。

「今週こそは、絶対にお願いします。案外、良い気晴らしになって、自然とお酒の量も減るかもしれませんから。絶対にやりましょう。私もここ二週間、一滴もお酒呑んでませんのよ。一緒に頑張りましょう」

 伊禰は笑顔でそう言った。その間に立ち上がった葦田の顔を、座ったまま見上げながら。だから伊禰は確認できた。葦田が目を細めて、頬を微かに震わせているのを。その表情を見た時、伊禰の笑顔は僅かに曇った。そしてその直後に、葦田も言葉を返した。

「正直さぁ…! ありがた迷惑なんだって」

 伊禰の方を向いた葦田は、声量を抑えつつそう言った。言われた伊禰は、ショックなのか目を丸くする。葦田の方は深呼吸をしてから、言葉を続けた。

「一緒に頑張るとか言うけど、無理なんだよ。お前はお嬢様育ちで良い大学出たエリートだから、俺みたいな底辺の奴の苦しみは絶対に理解できないから。大して苦労しなくても、何でも思い通りにできた人には…」

 声が大きくならないように気を付けながら、葦田はそう言い切った。頭上から言葉を浴び続けた伊禰は、硬直したように一点を見つめて息を震わせていた。

「ごめんなさい…」

 伊禰は俯き、漏らすようにそう言った。伊禰の反応に、葦田も何処か罪悪感を覚えたのだろうか? 「ごめん」と呟き返した。かくして葦田は伊禰をその場に残し、トレイを返却しに行く。伊禰は俯いたまま、彼の背を見送ることすらしなかった。

(理解できない…。そうですわよね。結局、他人どうしですから。私は彼を理解できないし、彼も私を理解できない)

 伊禰は完全に意気消沈して、全身から暗い雰囲気を発しながら昼食を口に運ぶ。近くで食べていた者たちは掛ける言葉も見つからず、同様に暗い雰囲気になるばかりだった。



 その雰囲気は十縷と和都も感知していた。

「大丈夫ですか? 祐徳先生、落ち込んでますよ」

 伊禰の様子を案ずる十縷。和都も流石に、今回は気になるようだ。

「まあ、部外者が踏み込む話でもねえんだろうが…。だけど葦田さん、態度悪いんじゃねえか? 姐さんに何言ったんだよ?」

 距離もあって、二人の会話は聞こえなかった。それでも、葦田の言葉に伊禰が傷ついたことは察しがついた。しかし二人の問題に、自分たちが介入すべきではないのかもしれない。十縷と和都はそう考えて、取り敢えず見守るだけにした。


 昼休憩の後、伊禰は職場である医務室に戻った。いろいろとやるべきことはあったが、葦田から言われたことが尾を引いて、作業は全く捗らなかった。

「ありがた迷惑…。私、鬱陶しいだけなのですわね…」

 葦田の言葉が脳裏に甦り、口からも勝手に零れる。自分を批難した葦田に対する怒りは無い。ただひたすら、自分が不甲斐なく思えるだけだ。

(情けないばかりです。説得するどころか、拒絶され…大学生の頃から、全く進歩がありませんわね)

 その感情は連鎖的に、ある記憶を伊禰の海馬から引き出させる。伊禰は過去にも、今回と似たような経験をしていた。

 今を遡ること九年前、伊禰が大学一年生だった時のことだ。
 時期は八月、大学では前期の試験週間が終わり、休みに入っていた。

 ある日、伊禰は夕方にとある公園の中を歩いていた。何の用事があって自分がそこに居たのか、今では憶えていない。そんな情報が消し飛ぶくらい、衝撃的なことが起きた。

(盗撮? あんな短いスカートで無防備な体勢してたら、やられますわよ)

 伊禰は遠巻きに見た。セーラー服姿の女子高生らしき人物が、泣いているのか木に顔を押し付けているのを。スカートはかなり短かった。

 そんな彼女の背後に太った眼鏡の男性が忍び寄り、彼女のスカートの裾の下にスマホを翳したのだ。彼女はそれに気付くと、振り向くやその男性を突き飛ばした。すると男性は「骨折した」などと言い、自分を突き飛ばした彼女に迫った。

(とは言っても、見て見ぬフリは駄目ですわね)

 伊禰はこの少女に強い同情心を抱いていた訳ではないが、それでも被害者だと思っていた。だから、己の正義感に従ってこの少女に手を差し伸べることにした。

「骨折されたのですか? 救急車をお呼びする必要がありますわね。それから、暴力沙汰なら警察もお呼びしましょうか?」

 二人に近付くや、伊禰は太った男性にそう言った。少女に絡んでいた男性は伊禰が来ると息を呑み、「警察」と聞いて明らかに血相を変えた。そして伊禰に悪態をきつつ掴み掛かるという暴挙に出たが、単なる太った痴漢など伊禰にとっては脅威でも何でも無かった。

(ご法度かもしれませんが、正当防衛ということで)

 一瞬悩んだが、伊禰は実力行使することにした。と言っても、伊禰としては掴んで来た手を外す為に、ちょっと花英拳の基本動作を使った程度だ。しかし痴漢は大袈裟に痛がり、伊禰の前に屈服してしまった。この弱さに伊禰は驚いたが、都合が良いのでこの流れで畳み掛けた。

「この子のスカートの中、撮りましたわね? 写真を今すぐ、この場で削除してください。さもなくば、警察に突き出しますわよ」

 怯える痴漢は伊禰に従い、この場で写真を削除するや、「もう良いだろ」と叫びながら脱兎の如く逃げて行った。


 被害を受けた少女は、か細い声で「迷惑掛けたな」と伊禰に言った。ここまでなら美談だった。

「もうすぐ日も暮れることですし、やはり女の子の一人歩きは危険です。お近くまでご一緒します。お家はどちらですか?」

 伊禰は純粋な善意で、この少女に提案した。少女は「そこまで迷惑を掛ける気はない」と申し出を断ったが、伊禰は引き下がらなかった。

「駄目です。また、悪い殿方に絡まれますわよ。私に気を遣う必要はありませんので。ほら、参りましょう」

 あくまでも己の正義感に従った伊禰。握手するように少女の手を両手で掴み、共に歩くよう促そうとした。すると少女は、意外かつ衝撃的な反応を見せた。

めろ! どうして、お前まで私に構う!? 慈愛のつもりか!? ふざけるな! お前は違う! お前じゃないんだ!」

 少女は激高し、泣きながら伊禰に怒鳴りつけた。どういう訳か、伊禰は彼女の琴線に触れてしまったらしい。少女は伊禰をひとしきり怒鳴ると、そのまま伊禰に背を向けて走り去った。

    伊禰は少女の言葉に衝撃を受け、その場から動けなかった。

     少女は伊禰の前から姿を消した…。

   

次回へ続く!




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