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社員戦隊ホウセキ V 第2部/第22話;ある花の思い出

前回


 六月二十六日の土曜日。
   和都かずと最音子もねこのデートは、予定通りに行われた。場所は武家屋敷の波間はま離宮りきゅう。海水を引き込んだ池がある、独特な庭園を持つ屋敷である。

 二人は屋敷の庭園の中に進入した。ここで会話を切り出したのは最音子だった。

「ここって、海水を引き込んだ池が有名なんですよね? 実は今週、小曽化おそばけきよしの【転校生の名は】を読んで、予習してきたんですよ。ほら、あの漫画の中で、主人公の不愛想な男の子と、転校生の女の子がデートしてましたから」

 和都は新杜あらと宝飾の社員だから小曽化浄の作品に関する知識は充分にあるという前提で、最音子は喋り始めた。しかし、これに対する和都の反応は微妙だった。

「ああ、あの漫画ですか? あれ、あんまり好きじゃないんですよね。って言うか、小曽化先生の作品、ジュエルメンは確かに名作だと思うんですけど、他は大衆ウケを狙った軽いのも多くて…。これ、会社じゃ言いにくいんですけどね」

 ここに来て、ようやく和都は長めの科白を口にした。内容こそ不愛想そのものだったが、和都の口を割れたこと、しかも本心だろう見解が出たことに、最音子は相当の手応えを感じた。そして、それは明確に表情にも出た。

「そうなんですね! なんか光里ひかりは、『小曽化先生の作品は全部良い』とか言ってるから、てっきり新杜の社員さんは全員そうなのかと思ってましたけど…。やっぱり、人によって違うんですね!」

 素直な笑顔で、そう言った最音子。和都はその顔を数秒間見ると、また目を逸らした。しかし最音子は動じず、満面の笑みを浮かべたまま。



 奇妙な構図で、二人は庭園の中を突き進んだ。庭園の一角に設けられたある花壇に差し掛かった時、最音子はあることに気付いた。

「あれ? これって、コスモスですよね? どうしてこんな季節に咲いてるの? 品種改良でもしたヤツなのかな? ワットさんはご存じですか?」

 六月なのに秋桜コスモスが咲いていたのだ。最音子は純粋な疑問を抱き、この話題を和都に振ってみた。なお、最音子はごく自然に【ワットさん】などと呼んだのだが、和都の反応は薄い。それどころか、話も余り膨らまなかった。

「これ、コスモスなんですね。すいません。俺、花とか詳しくなくて」

 ここで会話が途切れそうなことしか言わない和都。それでも今の最音子は饒舌になっていて、会話を途切れさせなかった。

「あれ? 私、てっきりお花とか詳しいのかなって思ってたんですけど…。意外です。このピアスをデザインされたの、ワットさんなんですよね?」

 と、自分の耳に付けたピアスを指しながら、最音子はそう言った。和都は「そうですけど」と返しただけだったが、この素っ気ない態度にも最音子は笑顔で答えた。

「このピアスのモデルになった花を訊いてきてって、光里に言われてたんですけど…。もしかして、適当にデザインしたんですか?」

 クスクス笑いながら、最音子はそう言った。和都は、「そうです」と簡素に答えた。最音子は「そうなんだー」と、楽しそうな声で言った。

 その後、どういう流れか最音子は「コスモスは漢字で秋桜と書く」と、和都に教えた。和都はこれで六月にコスモスが咲いていることを最音子が不思議がった理由を理解したが、相変わらず反応は薄かった。
 その時に和都は別のことを考えていたからだ。

(あの青い花、何ていう花なのか、未だに判らないんだよな。それ以前に、このピアスのデザインは俺のモンじゃない…。俺は本当に無能だ…)

 ピアスのモデルになった花は無いという話には、いろいろと嘘があった。しかし和都は口を噤んでいた。ところで彼は、自分がデザインしたのではないと心の中で語っていたが、それはどういう意味なのか? これも和都は語らなかった。

(こんな無能なのに、よくもまぁ自分より有能な奴に先輩面してるよな。俺は。だから駄目なんだよ。高校の時もそうだった。春日かすが君は高校時代の俺、そのものだ。無能なクセに、他人には過大な要求をする。だから俺は駄目なんだ)

 デート中にも拘らず、【自分は無能】という和都の思考は、変な方向に逸れ始めていた。

「ご自分が他の方より精神的にお強いことを自覚してください。貴方は平気で耐えられても、他の方には厳しいということは多々あります」

    

 これはいつか伊禰いねに言われたこと。思えばこれだけではない。和都は高校二年の時、所属した美術部の顧問からも「後輩に厳し過ぎる」と指摘されたことがあった。

(美術部に入ったからには、絵が上手くなるのを目指すのが当然だろう。だけど、あいつらには辛い要求だったのかもな)


 和都の一つ下の後輩たちは、美術室に来ても喋っているだけで、何も描かずに帰るということが何度かあった。和都は先輩としてそういう態度を指摘していた。それ自体は間違っていない筈だが、何故だろう? 和都の方が責められることが何度かあった。

 その象徴たる事件は今から九年前、和都が高校二年生の時だった。和都にとって、これは余り回想したくない記憶であると同時に、忘れられない出会いの記憶でもあった。

 和都の出身地は東京の隣の裏靖うらやす市で、学校もこの市にある中高一貫校に通っていた。裏靖市には【ネズミーワールド】という有名な遊園地がある。
 高二の夏休み、和都の所属していた美術部では、このネズミーワールドに写生をしに行くという企画が実施された。

「何を描いた? みんな、どんな感じだ?」

 朝から夕方まで遊園地に居て、気ままに何でも描くという企画だった。昼食時、同じレストランに部員たちが集合した時、顧問の教師が午前の成果について訊ねてきた。この時の残念な返答を、和都は今でも克明に憶えている。

「ちょっと楽しみ過ぎちゃって…。午後から頑張ります」

 和都の居た美術部は、二年生が和都だけで一年生が五人という構成だった。その五人が五人とも、午前中はアトラクションの誘惑に負けてしまい、何も描いていなかった。ちゃんと絵を描いたのは和都だけだった。勿論、当時の和都は怒った。

「お前ら、部活で来てるって解ってるのか? 写生しに来たんだから、絵を描けよ! でなきゃ、上手くなれないぞ!」

 和都は気付いたら、後輩たちを怒鳴っていた。すると、後輩たちは五人揃って不満そうに頬を膨らませた。一応、彼らは「すいませーん」と言ったが、反省していないのは明らかだった。だから和都は彼らを更に叱責しようとしたが、顧問教師がそれを止めた。

「待て、伊勢君。誰しも君みたいに意識が高い訳じゃない。強要しても、良い作品は描けない。大切なのは、愉しむことだろう? 心から愉しい、描きたい、と思わなければ良い作品はできない。だから怒らないでくれ」

 良い話風だが、甘ったれてズレた理論だ。当時の和都はそう思ったし、今でもそう思っている。しかし、この場に和都の味方は居なかった。

「二年生が君だけになった理由、もうちょっと考えて欲しい。でなきゃ君は今後、人間関係で苦しむぞ」

 この顧問教師の発言に、そこまで怒りを覚えた自覚は無い。それでも何かの切欠で今でも時折思い出して、胸の内側を掻き毟られるような感覚に襲われる。十縷が何かの切欠で引手リゾートのことを思い出し、憎しみを覚えるのを弱くした感じなのだろう。今の和都は、そう認識している。

 何にせよ、当時の和都はこの言葉で黙らされた。
―――――――――――――――――――――――――
 それでも和都は挫けず、午後も何かを描こうと思っていた。
 そんな孤独な真面目さを胸に、後輩たちと別れた直後だった。和都が忘れられない出会いをしたのは。

「絵を描きに来たのか? どんな絵を描いたんだ?」

 女性だろう人物が、いきなり後ろから話し掛けてきた。
 振り向いた和都は驚いた。その女性の顔を見た瞬間、凄く美人だと思ったからだ。近くで直視していたら赤面してしまうと思い、咄嗟に俯いてしまう程度には美人だった。だからか、和都も彼女の顔ははっきりと憶えていない。とても美人だったという印象だけが残っている。
 それ以外では、遊園地に制服としか思えないセーラー服で来ていたこと、スカートがとても短かったことを憶えている。高校生にしては随分と華美で、ピアスやペンダントを身に着けていた気がするが、そこは明確には憶えていない。
 しかしこの人こそが、和都の思い出す【美人なあの子】だった。

「え? いや、あんまり上手くないけど…」

 和都は赤面しながら、スケッチブックに描いた絵を見せた。と言っても、午前中に描けたのは一枚だけ。池に突っ込むジェットコースターの絵だけだ。スピード感と水飛沫の表現が納得いかず、気付けば時間が掛かってしまったという次第だ。

「充分に上手い。だけど何だ? 機械的だな。見えたものを正確に描く能力は高いのだろうが、感情までは込められていない」

 和都の絵を見て、彼女は評論家のように語った。
 どういう訳か、和都はそのまま二人で遊園地を周ることとなった。二人はメリーゴーラウンド前のベンチに座った。今まで出会った女性の中で確実に一番綺麗なこの少女と二人でベンチに座るのは、かなり緊張した。そんな緊張の中、和都は絵を描いた。

「人間を描きたいのか? 私には難しいな。あの幸せな感じ、眩し過ぎて直視できない。羨ましい…」

 確か彼女は、そんなことを言っていた。和都はそれに答えなかった。
 そして彼女は自分も絵を描きたいと言い出し、和都が持っていた水彩色鉛筆を借りて何かを描き始めた。彼女がいつの間にかスケッチブックを手にしていたのは不思議だった。
 彼女はベンチから降り、後ろに広がっていた花壇に体を向けていた。

「何を描いたんだ?」

 和都は自分の絵がある程度仕上がった頃、彼女に訊ねた。その頃、彼女も絵を描き終えていたが、その絵が不思議だった。

(この花は何だ? 青い花なんか無いぞ?)

 彼女は青、正確には紫紺の花を描いていた。和都が名前を知らない花だった。しかし、花壇に植えられていたのはペチュニア。咲いていた花の色は、赤、ピンク、白だ。一体、彼女は何を描いたのか?
 和都が訊ねると、彼女は答えた。

「この雑草だ。目を掻い潜ってここまで育ったが、どうせ引き抜かれるのだろう。だから、描いて残しておこうと思った」

 彼女は指したのは、紛れもない雑草だった。その雑草はペチュニアより草丈が遥かに小さく、息を潜めるように地に貼り付いて生きていた。紫紺の小さな花を咲かせて、確実に命を繋ごうとしていた。
 この小さな存在を、彼女は描きたかったらしい。

「しかし、見ていると泣けてくる。この絵はお前が持っておいてくれ」

 彼女は雑草というか小さな青い花を描いたスケッチブックを和都に渡すと、急にその場から走り去った。和都はスケッチブックを渡されたことに驚き、咄嗟に彼女を追えなかった。追おうと思った時、彼女は何処に行ったのか解らなくなっていた。

  

 以後、和都は彼女とは会っていない。名前も聞かなかった。青い花の絵を描いたスケッチブックと不思議な記憶を和都に残して、彼女は去っていった。


次回へ続く!


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