愚かになる歳月
難しい本が読めなくなった。
道行く人すべてをにらみつけなくなった。
もう昔ほどものを深くとらえようとしなくなって、道に落ちている枯草の一本にだって怒りを覚えて脳味噌をとにかく攪拌してあがいていたあの歳月は失われてしまった。
ここにいるのは抜け殻。考えることをやめ今日一日を何とかやり過ごして、目の前のことや他人の評価に一喜一憂して摩耗しきった、腐乱した生ごみの臭いを一層きつくする怒りという名の残火が、体に熱を与えるでもなく口からけぶっている、外殻。
人の能力は別に年をとるごとに向上していったりはしない。そこは因果じゃない。
真に大切なのは熱意、でもなくて怒りなんだと思う。欠落、瑕疵、インフェリアコンプレックス、黒歴史、トラウマ、怨恨。嫉妬。
世の中はすべてを持っていた。僕にはなしえないことばかりで僕はそれがたまらなくつらかった。もっと何かできるようになりたかった。もっと自分のすごさを世の中に知らしめて、ひざまずかせてやると毎分考えていた、比喩ではなく。ずっとそればかり考えていた。
その怒りで突き進んだ僕はそこそこになった。同じ場所にいる人間の中では、多少、何かしている、風。でも何もかも足りない、何も手に入れられていない。まだ掌の上に乗った何かを注視したくない。どこまででも満たされたいのに、満たされてしまえばもう僕には何もなくなる。
夢をかなえた先の幸せな僕はどんなにか素晴らしい「道行く人」になっているかわかったもんじゃない、クソ喰らえ。
本当はこの世界はこうあってはならないんだ、僕があるけば地面が割れなくちゃならなかった、僕が進めば波は割れなければならなかった、僕がうなずけば人々はかしずかなければならなかった。
おかしい。
中途半端になり果てた死体の中で燻る残光が、まだ、東京のアパートの一室の片隅で
確かに燃えている。
ではいい一日を。
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