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幸せの在処
最近、気がついたこと。
『人間は自分のために生きるべきだ』ってこと。
当たり前のことなんですけどね。
これができていない人 ── 他人軸で生きてる人は意外と多い。
『他人軸』って具体的になんだろう。
世間の評価が自分の評価なこと。
生きる理由を自分以外の何かや誰かに求めていること。
依存。
🖤🖤🖤
よく易い小説やアニメで見る台詞がある。
『俺はきみのために生きるよ』あるいは『私はあなたのために生きるわ(涙目)』
それなんかもっての他だ。
多分、今の私なら醒めた目でみつめながら
「おいおい、やめとけよ、それ……」
って言っちゃうと思う。
でも、意外と大真面目にこれをやっちゃってる人は多いんだよね。自分でも気が付かないうちに。
覚え、ありませんか?
子供に依存する母親(父親)
恋人への依存。
パートナーへの依存。
会社(仕事)への依存。
結果的にその生き方は誰をも幸せにできない。
だって「キミを幸せにするためにボクは生きるよ♡」なんて言ったところで、大抵、そういう人間は相手にも多大なる献身と犠牲を要求してくるからだ。
言われたそのときは気持ちがいいけれど、その言葉の裏にあるのはそんなもん。
その他の関係だって一緒。
子供に「あんなに大事に育てたのに!」ってブチ切れる親もそうだ。
これまでの献身に見合うように、子供が見返らなかったことに対して腹が立って仕方がない。
会社もよく聞く話だよね。
「あんなに頑張って働いたのに!」とかさ。
まあ、会社と個人の関係は(現状どうあるかは別として)イーブンであるべきと思うので、憤るのはやむなしとしても、そこから極端な行動に走るパターン。
自死、会社に損害を与えるような行動をする、
単純に暴れる。
つまりそれって「利他主義」を装った究極の「利己主義」なんじゃないだろーか。
やってる本人すらも多分、気がついていないだろうけど。
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最近よく「波動を軽く」とか「軽く高い波動」が大事だ、みたいなことを耳にする。
それって、こういうことなんだろうな。
誰かに尽くすこと。優しく在ること。誰かを守ること。誰かに何かをすること。
それはとても価値のあること。見返りなんかなくたって。
それをした自分が気持ちよく、すっきりとした気分になれるなら、それが一番いいのだ。
だけど、そこで見返りを求めてしまうと、あるいは見返りを求めての行為だと、一気に波動は重く、暗くなる。
結局のところ『何をするか』や『どれだけやったか』が大事なんではなく、本当に大事なのは『自分の心の在り方』なんではなかろうか。
🖤🖤🖤
幸せになりたいのはみんなもちろんで、このモノと情報に溢れた社会で『幸せになる方法』は巷にごろごろ転がっている。
これをすればお金持ちになれる。
これをすれば彼に愛される。
これをすれば病気が治る……
でも転がっている情報の数ほど、幸せになった人間は見かけないのはどうしてだろう。
状況が変わったって『自分の心の在り方』が変わらなければ、幸せなんか掴めやしないからだ。
どんなに心の清い優しい神様だって、重たい波動の鎖で縛られそうになったら、きっと逃げていく。
だから、自分軸で生きる。
誰にも何も求めない。
それでいいのだ。
だって、私の好きなひとたちは、ただそこに存在している ── きらきらと輝いていて、それを見ているだけで、私は何だか元気になれるのだから。
それで充分なんだ。
だから、私も願わくば誰かにとって、そういう存在で在りたいと願う。
それなら。
そう、自分軸で生きなくてはならない。
明るく、軽く、美しく。
どうぞ、今日も善き一日でありますように🌟