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[エッセイ]正しいと思うその行動、実は一方的な正義かもしれない

「正義」とは、各個人によって意味が異なり、それぞれの価値観や経験に基づいて形成されるーー

私たちが「正しい」と思い込んでいることが、後に誤りと判明する例は数多く存在します。
たとえ信頼できるとされる資料や情報であっても、100%正しいとは限りません。それにもかかわらず、現代社会では自分の持つ情報や考えが絶対に正しいと信じ、その「正義」を他者に押し付けることで、攻撃する人が後を絶ちません。

このような一方的な正義感は、しばしば人を不快にさせ、他者とのトラブルを生む原因となります。規模が大きければ、一方的な「正義」で戦争になる場合もあります。

特にインターネットでは、自分が正しいと思う事に反する意見や書き込みを見つけたとき、その誤りを指摘したり、時には個人を晒し上げたりする行動が散見されます。

最近よく見かけるのが、「注意喚起」という名目で個人の顔やスクリーンショットを晒し、自分が正しいと信じる情報を発信する人々です。

彼らは自分が正義を代弁しているという顔をして情報を拡散しますが、その行動に本当に必要性があるのか疑問です。
多くの場合、それは単に感情的になって投稿しているだけであり、理性的な判断に基づいて行われているわけではありません。

さらに驚くべきことに、このような行動に対して疑問を抱かない人々が多くいることです。
彼らは、他者を晒し攻撃する行動を正当化し、その行為が正義のためであると盲信しています。

しかし、こうした「正義感」はしばしば一方的なものであり、自分が絶対に正しいという前提のもとに動いているため、他者との対話や理解の余地を閉ざしてしまうことが多いのです。

「情報」を持っているならこそ、それをどう扱うべきか、伝えるならどう伝えるのか注意を払い、他者を尊重しながら対話を進めることが重要です。

一方的な感情の押しつけではなく、相互に理解し合い、共に成長していくことこそが、真の正義への道ではないでしょうか。

正義は主観的なものであり、普遍的ではありません。歴史を振り返ってみても、かつて「正義」とされていたことが後に誤りだとされる例は数えきれません。

では、正義が一方的なものにならないためにはどうすれば良いのでしょうか?

その答えは、自分の正義があくまで主観的なものであり、他者の正義と必ずしも一致しないことを認識することです。
正しいと思うことでも、それが本当に正しいとは限りません。むしろ、相手の視点や背景を理解し、対話を通じてお互いの違いを尊重する姿勢が必要です。

やなせたかしの言葉に「正義はあやふや」というものがありますが、本当にその通りですね。

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