見直すのは子どものしつけ方や教育の仕方ではなかった
次男の担任から呼び出しがかかった。先日noteに投稿したのだが、とある問題があってそのための話し合いだ。
なぜこんなことになったのかわからず、まだ自分の中に気づくべき思考があるってことをまたまた次男が見せている。
なぜかあんなに変化してた次男とまたバチバチの日々が戻っていた。
どの思考?どんな感情が潜在意識にたまってるの?
そんなことを考えていた数日間。ヒントになる動画に出会ったのだ。それを次男とのことに置き換えて考えてみると、いままで考えていたことは上辺の部分だけで、もっと奥に隠れていたことが見えてきた。
次男が起こした問題行動を見て「わたしはどう思った?感じた?」のか。これが最大のヒントだ。
それをどんどん紙に書きだしてみた。結局ね、いきつくのは親なのよ。
紙に書いててもピンとくることがなかったのだが、わたしの周り、とくに家族にはいろコクわたしの思考が投影されているわけでしょ?
だったらと、わたしが最近向き合っているできごとも一緒に書きだしていくとたどり着いたわけだ。大元に。
次男が問題を起こしました。呼び出されました。夫は「またか」と次男に怒ります。その言動を見聞きしてわたしは夫にいいました。
「ねぇ、もっと寄り添ってあげてよ。もっとやさしくいってよ」と。
口をはさまれると夫がより怒るのはわかっていたが、ちょっと夫にイラっとしていってしまったのだ。
はい、ここ~。この夫の言動にイラっとしたのがポイント。
紙に書きだしているとき、あれ?って引っかかったのだ。でね、次男の問題行動を見て、わたしがどう思ったのか?何を感じたのか?
寂しい思いをさせてたんだろうな。とまず思ったわけだ。そうわたしが思ったのならそれが正解なのだが、もっと掘り下げていくと、先生方に、ちゃんと教育されていないだとか、親のしつけがなってないだとか、育て方がわるいと思われているのではないかと思ったのだ。
つまり「ダメな母親」だと。
わたしが離婚してシンママになったときも子どもたちに何かあるたび、片親だからとか、親の愛情が足りてないんじゃないの?とか、若い親だからちゃんとしつけもできないって周りから「ダメな母親」だといわれているのではないかと怖かったことを思い出した。
なぜこんなに「ダメな母親」だと思われてるのではないかと思ったのかというと、わたしがそう思っていたから。
つまりわたしが「自分の母に対してダメな親」って思ってたからってところに行きついた。
それに気づいたら、全部のわたしの悩みが線としてつながってしまったのだ。
全部は書ききれないので今日は次男の話にしぼるが、これは最近向き合ってきた父とのことや長男のこと、また夫や長女や次女三女のことにもつながっていることだった。
また、次男をコントロールしたいという気持ちもそうだ。
次男をコントロールしていい子にしなきゃ、わたしがダメな母親だっていわれるじゃないかーーー!!って思っていたのだ。チーーーーン
コントロールしたい、「なぜそう思ったのか」という部分に気づけていなかったから、また問題を起こすことで次男がわたしに教えてくれただけにすぎない。
で、少しまえに話を戻して、わたしが夫にいった言葉、
「ねぇ、もっと寄り添ってあげてよ。もっとやさしくいってよ」
これはわたしが母に対して感じていたこと。
お母さん、もっとわたしに寄り添ってよ!もっとやさしくしてよ!もっとかまってよ!仕事仕事ばっかりで、なんでわたしを見てくれないの!?愛してくれないの??わたしがわるい子だから?
子どもをほったらかしておくなんて、お母さんってほんとダメなお母さんだよね!!とずーーーーっと怒っていたのだ。顕在意識のわたしが忘れてても、潜在意識はそれをずっと握りしめていたということ。
わたしも大人になり母になり、それが壮大な愛の勘違いだったってことがいまならわかる。
今回このことに気づけた動画はこちら。
子どもの引きこもりや不登校もおんなじなんだ。結局のところ壮大な愛の勘違いからはじまっている。子どもが問題なのではなく、すべては思考、つまり自分の潜在意識が現実化しているだけ。
見直すのは子どものしつけ方や教育の仕方ではなく、わたしの思考だったという話し。笑
思考が100%現実化している。
まだまだ全部は理解しきれてないし腑に落ちないなって部分もあるけれど、そうなのかもと思うとなぜか安心する。だって、自分の人生をコントロールしているのは、わたしだって思えるから。
だれかに操られているわけではなく、すべて自分でこの世界を創っていけるってわかれば、漠然とした不安はなくなり安心しかないのだ。