
⑪進学先に地方の公立小学校を選ぶ
さまざまな価値観の人と共生する
グローバル化の進んだ現代において、価値観の多様な人々と共生することは、大きなテーマです。価値観の多様性、という意味では、私たちの日常はすでに、いろいろな文化的背景を持った人たちとの関わりを持っています。
東京脱出(「お受験」を回避する)
例えば、娘は、地方の公立の小さな小学校で6年生まで過ごしました。東京から移住しようと思うと話したとき、私と夫の両親双方から猛烈に反対されました。その主な根拠とされたのが、娘の「学校問題」でした。東京ならば、通わせる学校の選択肢が広いし、小学校以後の学校の環境も(塾も含めて)いろいろと選べるので、「東京にまさる教育環境はない」というのが彼らの共通した主張でした。
山への移住を決める
しかし、結果的に私たちは東京から100キロ以上離れた山に移住を決めました。夫も私も職場が東京だったため、東京へ通えるギリギリの範囲で、しかも夫と私の実家からほぼ等距離というのが条件でした。通勤時間が大幅に延びることにはなりますが、それでも、子育ての環境の方を優先したのです。東京で住んでいた集合住宅では、下の住人の方からの「子どもの足音がうるさい」というクレームに悩まされていました。歌うことや踊ることが好きだった娘に、「ちょっと静かにして」とたしなめることもしばしばありました。ですので、もっとのびのびと過ごさせることはできないかと思っていました。それに、私たち夫婦が所有していた膨大な量の本を思い切り置ける広い空間が必要だったということもあります。
学校問題をどうするか
私たちの両親が懸念していた学校問題はどうするか。結論としては、「なんとかなる」。私自身が地方公立高校から東京の大学に進学しましたし、ありがたいことに、日本はどんな地方にもちゃんと学校があります。もしどうしても山の学校になじめなければ、その時は東京に戻っても良いのではないか。背水の陣を敷かない、というのが、我が家の家訓です。くわえて、家から車で20分ほどのところに、最近評判になってきた公立の中高一貫校があるらしい、というのも、将来の選択肢になるのかなあと、ぼんやりと考えていました。
いよいよ移住!
山に移住したのは、娘が四歳のときでした。はじめのうちは、週末だけ山の家に行くという二拠点生活から始めました。月曜日から木曜日まで東京、金曜日から山生活です。両方に保育園を確保し、行ったり来たりの生活が始まりました。山の保育園は、自然の中での活動がいっぱい。凍った川を滑り降りたり、木登りしたり、動物の足跡を追いかけたり。のびのび、を通り越して、かなりワイルドな体験をいろいろしました。引っ込み思案だった娘は、みんなの後ろをついていく感じでしたけれども、新しい体験を楽しんでいる様子でした。
公立小学校に入る
年長組になると、最終学年としての行事が増えてきて、保育園から「山か東京かどちらかに決めてください」と言われました。そこで娘に「どっちにする?」と尋ねたところ、「山がいい!」と即答。その瞬間、私たちの方針が決まりました。
娘は同級生が16人という小さな小さな小学校に通い始めたのでした。とても小さな集団でしたが、親の職業はさまざま、家庭環境もさまざま。農家の方もいればペンションやお店などを自営で経営されている方、長距離トラックのドライバー、会社員など。祖父母と三世帯同居の家庭もあれば、シングルで子育てをしている家庭、母子移住で父親は首都圏に単身赴任という家庭。じつにさまざまでした。
そこで出会った友だちとは、いろいろ小競り合いや軋轢がありながらも、卒業する頃にはクラスが団結しました。よい同級生に恵まれたと思います。子どもたちのその後の進路もさまざまで、高校を出てすぐ働き始めた子、韓国に行ってアイドルを目指している子、中学を卒業後相撲部屋に入った子、大学に進学して医師や保育士を目指している子、ほんとうにバラエティーに富んでいます。東京でいわゆる「お受験」をして、小学校からある意味環境の似通った子どもの集団で育てば、こうはいかなかったでしょう。
山の小学校、生活で得たもの
私と夫は、「東京に住み続けていたら、きっと周囲に煽られて小学校か、遅くとも中学で受験をさせていただろうし、そのためには、小さな頃から塾に通わせていただろうね」と話しています。事実、東京在住の私たちの兄弟の子どもたちは、小学校時代から夜遅くまで学習塾に通い、難関中高一貫校に入るために猛烈な努力をしていました。そんないとこたちに比べれば、娘の小学校時代は実にのんびりしたものでした。子ども時代にゆったりした時間を持つことは何ものにも代えがたい得がたい経験だと思いますが、さらに、公立の小学校で、多様な環境で育った子どもたちとともに育つことができたことは、本当にありがたかったと思っています。娘がより広い視野で世の中を見ることができるようになったとすれば、それは彼らのおかげです。