⑬子どもと海外で暮らす(小学校篇 その2)
ミュンヘンの小学校
ドイツの小学校は、日本の小学校とは様々な点で異なっています。とはいえこれは、私が生活したミュンヘンでのことです。ドイツは州によって制度がかなり違うようですから、他の地域には当てはまらないかもしれないことをあらかじめお断りしておく必要があります。
入学年齢は親が選べる
まず驚いたのが、子どもの成長に応じて入学する年齢を親が選べるということです。日本では一律満6歳で入学しますが、こちらでは6歳になっていることが基本であるものの、一年遅らせることも選べます。また、親の判断で、5歳で入学させることも出来ます。たしかに、子どもによって成長の早い遅いは個性がありますから、合理的と言えるかもしれません。
娘は7歳の4月に渡欧して、一年生の学年途中で編入しましたが、同じクラスに異年齢の子が一緒に勉強していますので、本人も周囲も違和感はありませんでした。年齢によって「何年生」というのがはっきりしている日本では、大学に何歳で入るかによって「現役」「一浪」と呼び、大人になっても年齢に対するこだわりが続くのも、こういうところにも原因のひとつがあるように思います。
「留年」や「飛び級」がある
さらに、小学校でも「留年」や「飛び級」があります。娘の友人(ドイツ生まれ、両親が日本人と中国人)は、5歳で入学し、途中飛び級して16歳で大学に入学しました。小学校で留年というと驚いてしまいますが、娘のクラスにも算数の成績が思わしくなくて、算数だけさらに半年下のクラスで学んでいる子がいました。学年進級に必要な学力を身に着けてから上の学年に上がるという考えが徹底しています。こうした留年があるため、あわてて入学させて留年するよりは、じっくり成長を待って入学させたいという親の選択も頷けます。
10歳で進路を決める!?
小学校は、4年生まで。その後の進路は、ごく簡単に言うといわゆる実業学校と、大学入学をめざす(日本風に表現すれば)中高一貫校とに分かれます。10歳で進路を決めるのは酷ではないか、という見方も当然あると思います。しかし、その子に合った、生きていくために必要な技術や能力、知識を獲得するという、これも合理的な観点に立っているのでしょう。ついでに言えば、公立学校は大学に至るまで基本的に学費は無料です。
午前中で下校
小学校は、我が家のマンションから校庭が見える位置に一校ありましたが、学区が違うということで、歩いて10分ほどの別の学校に通いました。授業は午前中で終わりです。ランチは家に帰ってきて食べます。最近は共働きの家庭が増えて、午後も預かってくれる「学童」のようなところもあります。保護者会は、家庭環境の変化をふまえて夜に設定されています。子どもの送り迎えも保護者会も日本に比べて父親の参加がとても多いと感じました。
ドイツの学校は自由
学校の雰囲気も、日本と随分ちがいます。日本では学校の勉強に関係ないものは基本的に持ち込み不可ですが、ドイツの小学校では危険なもの以外は持ち込み自由な感じです。たとえば、気に入った人形を一緒に連れてくる子もいますし、誕生日プレゼントにもらったおもちゃを翌日持ってきて先生や仲間に披露する子もいます。授業の後、先生がグミを配ったり、お誕生日の子は、家からみんなの分のケーキを持ってきたりします。そういえば、娘が誕生日の日、海苔を巻いたせんべいを持っていって話題をさらったことがあります。まだそのころは海苔が子どもにとって一般的な食べ物ではなかったし、こんな真っ黒いものを食べられるんだ! と驚かれたそうです。
休み時間は、教室に先生が鍵をかけて、外で遊ばせるというのもびっくりしました。安全管理上の問題なのかもしれませんね。その間、家から持ってきた食べ物(リンゴや、チーズやハムを挟んだパンなど)を片手に走り回ったりして、遊ぶそうです。決められた給食の時間に座って食べるのが当たり前だった娘には、心底驚く経験だったようです。
体育の時間もありますが、基本的に着るものは自由。好きなサッカーチームのユニフォームを着ている子もあれば、レオタードを着ている女の子もいる。真剣に競技をするというよりは、楽しく体を動かす。もっと大きくなっても部活動のようなものはなく、スポーツをやりたい子は地域のチームなどに所属します。
公立小学校でも「宗教」の時間があります。娘の学校では、「プロテスタント」と「カトリック」と「その他」の中から選択できました。
喧嘩の仕方もドイツ流
あとは、女の子たちの喧嘩の仕方。女の子たちの誰かと誰かが喧嘩を始める。すると、クラスの子たちがそれぞれに加勢して大喧嘩に発展する。ものすごい言い合いになるけれども、次の日にはケロッとしてまた遊んでいる。この「エネルギー発散型」の喧嘩には当初はたじろぐほどだったようですが、娘も次第に慣れて、無視したり陰で悪口を言ったりするよりはすっきりしていていいと言うようになりました。ちなみに、娘はこういうタイプの喧嘩には、わけのわからない言葉(つまり日本語)で怒りを伝えることが一番だ、と途中で気づきました。「黙っていると、居ないことにされてしまう」「ドイツ語できちんと言えなくても、感情を伝えることは大事」と会得したようです。
ドイツ語問題のその後
さて、娘のドイツ語問題は、秋から次第に解決に向かいました。まず、校長先生が地域のボランティアの人に働きかけて、娘のための個人授業をやってくれる方を近所で探してくださいました。加えて学校でも、移住してきたトルコの子たちと一緒に、ドイツ語の課外授業をしてくれることになりました。2年生の担任の先生にはベテランの先生がついてくださって、娘をうまく授業の輪に入れる工夫をしてくれて、おおいに助けられました。クラスメイトたちも次第に娘に慣れて、教科書の宿題の箇所に家のかたちのイラストを書き込んで教えてくれたり、動詞を活用しない形のままで分かりやすいように言ってくれたり。子どもたちの成長はすばらしいな、と感じさせてくれました。そのうちに仲の良い友だちもでき、その子のお誕生日パーティーに招かれたり、互いの家を行き来するようにもなりました。