⑦バレエを習う理由(自分を受け入れる)
娘にバレエを習わせるのがいいと思えた理由は、もうひとつあります。それは、自分の身体を受け入れるということが、成長していく娘にとって大切なことだろうという思いからです。私には、3つ年上の兄がいて、中学生くらいまではいつもお兄ちゃんみたいになりたいと思っていました。高校、大学と男子の多い学校に進み、大学院に行くとほとんど女性のいない環境になりました。その後進んだ研究の世界もまだまだ男性社会で、「女性は不利だ」と思うできごとにたびたび遭遇してきました。冗談半分、本気半分で「次に生まれるなら絶対男性に」と公言もしていました。したがって、娘にとって、より自然に自分が女性であることを受け入れることができれば、(それは肉体的にも精神的にも)生きやすくなるかもしれない。少なくとも娘にはそうあってほしい。自分ができなかったことを子どもに期待するのは少し違うかもしれないとわかりつつ、一方で同じ轍を踏ませたくない、と考えてしまうのが親心というものでしょう。バレエは、女性の身体で踊る、男性の身体で踊るという大前提があります。少なくとも、女性の身体で、男性(または男性の身体を持つ人)と競争しなくてもいいわけです。
娘は、バレエを通じて、自分というものを知っていくこと、そういう機会をたくさん与えられました。その過程は楽しいことばかりではなく、自分のある意味欠点や限界を見極めていく過程でもありました。たとえば、何かの新しい技術を覚えるのは、見てすぐにパッとできる子に比べて時間がかかること。でも、一度できるようになったら絶対忘れないこと。音楽のリズムをとるのがうまいこと。曲想を踊りに取り込むことがうまいこと。甲高の足や指の骨格はバレエに向いていること。でもアキレス腱の硬さは十分な訓練が必要なこと。脚が長いのはバレエには有利だけど、胴が短すぎるのは踊りに工夫が必要なこと。ジャンプは苦もなくできるのに、回転の技術を身につけるのには時間がかかること、などなど、ひとつひとつ自分と向き合いながら、自分というものをだんだんと把握していったのだと思います。それは、一本バレエという軸があったからこそ、自分の輪郭を成長とともに明確にしていくことができたのだと、あらためて思います。4歳から17歳まで、バレエは彼女の生活の中心であり、価値観の軸であり、青春のすべてでした。
自分を知る尺度や価値観の軸を獲得していくことは、思春期までの子供の成長にとって、とても大きなことです。そのきっかけとして「習い事」を位置づけるとすれば、「習い事」は親が子どもに与えられる支援のよい選択肢となりえるでしょう。
習い事関係で気をつけたいことは、子どもを忙しくさせすぎない、ということです。なにかの才能を見つけてあげたいと思うと、あれもこれもと手を出しがちです。結果として、毎日なにかの習い事の予定が入って忙しくなってしまう状態は、教育熱心な家庭ほど多く陥ってしまうわなです。かつてのように子どもが学校から帰ってきて近所で安全に遊べる場所が減ってしまいましたし、仕事を持っている親が多い現代では、放課後「安心して子どもを任せられる」習い事はとても魅力的ではあります。しかし、家でゆっくりする時間、ぼんやりする時間を奪ってしまう危険性もあることを忘れてはならないでしょう。娘は4歳からバレエをはじめましたが、小学校3年生までは、バレエしかやっていませんでした。(バレエレッスンは、入学前は週一回、小学校に入ってからは週2回)。私自身としては、よそのお子さんがあれを始めた、これを始めた、と聞けば、内心焦ったこともありましたが、そのたびに夫が「子どもが忙しいのは駄目」とブレーキをかけてくれました。
その後は、本人が音楽好きでピアノを始めたいと言うので、4年生から始めました。良い先生を見つけるのに少し時間がかかりましたが、基礎からきちんと教えてくださる先生だったので、その後楽譜をよんで歌うなど一通りのことはできるようになりました。英語は、ドイツから帰ってきて外国語の響きを忘れないために始めました。イギリスのネイティブの先生で、とても楽しく英語でおしゃべりができ、娘は喜んで通いました。中学生の英語のスピーチ大会の発音を見ていただくなど、長くお世話になりました。そのおかげで全国大会出場も果たしました。ピアノも英語も、本人がバレエを中心に生活をしていくという意志がはっきりしてから始めたため、優先順位はあくまでもバレエの次。バレエのリハーサルやコンクール、発表会などのときは、先生に事情を話してお休みを頂いていました。先生方も娘の気持ちを分かって、ゆったりと応援してくださってとてもありがたかったです。
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