ネコヤナギ

現在・過去・未来、物・事・こころ、意識と無意識の間を行ったり来たりの17音。 こんなに…

ネコヤナギ

現在・過去・未来、物・事・こころ、意識と無意識の間を行ったり来たりの17音。 こんなに小さいのにこんなに自在な俳句が好き。 それとエッセイを書くことで、やっとこさ自分に追いついているかな。 主婦兼小規模在宅グラフィックデザイナーです。

最近の記事

こころの動くとき 六月のエッセイと俳句

梅雨空の天の睡りは長きかな ハンカチの忘れてしまった物語 紫陽花や水の転生静かなり 噴水のせわしき告白聞いている かたつむり今どの辺か顧みず 踏み出せば青葉風四肢の中まで こころの動くとき 乳癌の定期検診が近づくと、俄かに自分の中に色んな人間が増殖する。 疑い深い人間。最悪の展開ばかり逞しく想像する人間。なるようにしかならないと開き直る人間。きっと大丈夫と、信じる人間。取り越し苦労はもうやめようと、合理的に考える人間。 これら様々な相反する考えを持った小人の

    • フジコ・ヘミング追悼 一句とエッセイ

      ラ・カンパネラ千の窓が朝焼ける 2024年4月21日、フジコ・ヘミングが92歳の生涯を閉じた。 冥福をお祈りしたい。 私の母は、長く洋装店を営んでいたが、音楽好きだったので、店のバック・ミュージックは大体クラッシックのCDをかけていた。 ある日フジコ・ヘミングのCDをかけていると、入ってきた常連のお客様が、「素晴らしいですね!先生、これどういう方が演奏しているの?」と興味深げに母に尋ねた。母はCDジャケットを見せて、少し説明したが、そのお客様は、次に来た時、「あれ、買

      • 寒オリオン・俳句6句とエッセイ

        一月 俳句6句 窓枠に動かぬ景や冬の雨 決心をあとへあとへと毛糸編む 寒林の一部となれば沈黙す 傷ならば色々とある冬薔薇 冬帽の遥かな上を鳥一羽 寒卵もうひと眠りの重さかな 俳句&エッセイ 寒オリオン 眉間より我を洗いぬ寒オリオン 我が家には新年は来たけれども、正月はまだ来ていない。 何故と言って、まだ雑煮を食べていないからだ。 昨年末25日にケーキを買いに行った主人が、帰ってくるとひどく咳き込んだ。 そのケーキ屋は、この辺では知る人ぞ知る安くて美味しい

        • 冬銀河 俳句6句とエッセイ

          12月 6句 秒針のすみやかに行く冬銀河 一呼吸すれば山茶花ひとつ咲く 煮凝りのような月日を男女かな 冬木立まだ・どこかに・こころざし 落ちてくる落ち葉とそのてにをは 本当のことは言はずに毛玉取る 12月のエッセイ クリスマスいつかどこかにあるリボン 「そんなに言う事を聞かないなら、今年のクリスマスは皆プレゼント無しですからねっ!」 母の声には意を決した感があったので、私達兄弟は首をすくめた。 年の近い兄弟というものは何かと喧嘩が多くなる。私がいくつくらいの頃

        こころの動くとき 六月のエッセイと俳句

          俳句&エッセイ・11月の無限 / 他俳句6句

          十一月のどこにでもある無限 そんなつもりはなかったとしても‥‥‥人はいつの間にか十一月に深入りしてしまう。 それは十一月というものの通低音が「無限」でできているのだから、当然と言えば当然の話である。 一年を通して賑やかだった日々の舞台の、様々な大道具、小道具も、いつの間にかどこかへ片付けられていて、カメラの超広角レンズを覗いた時のように、風景は一瞬にして、遠景へ退いてしまう。 身の回りには、何もない荒涼とした空間が、どこまでも広々と続いている。 十一月の無限。 試

          俳句&エッセイ・11月の無限 / 他俳句6句

          秋の俳句5句 エッセイ・俳句「鱗雲」

          満月や人のからだの水動く 秋晴れの古い箪笥に住む祖先 秋の星奇数ばかりが集まりぬ 白菊やひとの祈願が密集す 潔癖な月に問いただされている 少しづつ始動している鱗雲 何かを始めると、ついつい早くその結果を出したくなる。 特に自分は、せっかちな方だと思う。 サプリメントを呑み始めてまだ3日目だというのに、なにか喜ばしい変化はないものかしらと自己観察するし、花の種を植えて1,2日で芽が出るわけもないのに、ただ真っ黒な土の表面を見ては、そこに何の兆しも無いことが、釈然

          秋の俳句5句 エッセイ・俳句「鱗雲」

          秋の俳句3句・エッセイ「狗尾草」

          鏡には何も映らず虫の声 秋晴れて何処かに神殿ある如く 逃げていくものの速さや十三夜 忘却の底抜けている狗尾草 家から歩いて子供の足で3分ほどの所に、駄菓子屋があった。 母にしつこく10円をせがんで、やっとの思いでそれを貰うと、汗ばんだ手の中に硬貨を握りしめて、私は駄菓子屋に走った。 その短い道のりの嬉しさ。 買いに行くのは、駄菓子かもしれない、塗り絵かもしれない、しかし今手の中に握りしめているものは、子供にとっては非常に貴重な「自由」なのだ。 大人のように実生活

          秋の俳句3句・エッセイ「狗尾草」

          秋冷 俳句とエッセイ、他3句

          古き書のアンダーライン秋冷る ネットの古本屋で本を4,5冊買った。ひとつひとつは200円代なので、てっきり文庫本だと思い込んでいたのだけれど、来てみたら皆立派な単行本だったので驚いた。 しかも中々に綺麗な品ばかりである。 送料も300円程度だったし、3冊はまとめて同じところから送ってもらったので、一つ分しかかからなかった。 3冊まとめて送料を加えてもまだ一冊分の元値に届かない。 これはいいなあ、もう新品を買うのが嫌になって来る。 が、しかし、逆に売るとなるとどうなのだ。

          秋冷 俳句とエッセイ、他3句

          林檎 俳句とエッセイ、他秋8句

          食べ尽くす林檎の中のしじまかな 林檎、梨、葡萄など秋の果物は大好きな私であるが、その美味に浸りながらも、ふと、秋の果実の味覚は、短調のメロディと同質のものを持っている、と思う時がある。 美味しいのに変わりはないのだが、 (たとえば音楽にも長調の旋律と短調の旋律があって、どちらが良いと言うことではなく、素晴らしい音楽は、どちらの調であったとしても素晴らしいように。) 秋の果実の味覚には、短調のメロディの持っているような、しんとした、幽かな寂しさのようなものが、どこかにある

          林檎 俳句とエッセイ、他秋8句

          はじめまして

          自己紹介 はじめまして、ネコヤナギと申します。 あっという間に60代になってしまいました。 多忙な現代人の生活は、なんだか水が流れるように、日々自分が流れて行ってしまうような心許なさがあります。 そんな中で、20代から続けていた俳句を書くことと、自分の身辺に浮遊している想いをエッセイにすることで、 ふと、立ち止まる。 例えば、忙しかったり、心が重かったりすると、周りのものをあまり見ていないものですが、季語のひとつひとつが、ちょっとこれを見てごらん、と呼び止めてくれます。

          はじめまして