こころの動くとき 六月のエッセイと俳句
梅雨空の天の睡りは長きかな
ハンカチの忘れてしまった物語
紫陽花や水の転生静かなり
噴水のせわしき告白聞いている
かたつむり今どの辺か顧みず
踏み出せば青葉風四肢の中まで
こころの動くとき
乳癌の定期検診が近づくと、俄かに自分の中に色んな人間が増殖する。
疑い深い人間。最悪の展開ばかり逞しく想像する人間。なるようにしかならないと開き直る人間。きっと大丈夫と、信じる人間。取り越し苦労はもうやめようと、合理的に考える人間。
これら様々な相反する考えを持った小人のような人間達が、入れ替わり、立ち替わり私の中を行ったり来たりするので、そのうちに何が何だか分からなくなって、疲労困憊してしまう。
何年たっても慣れない。
何年たっても怖い。
今年で4年目である。
去年はすぐに呼ばれたのに、今年は待合のベンチで40分ほど待たされたので、その間の心の緊張はかなりのものだった。
私の番が来て、扉を開けると、主治医は机に向かっていた。
そしてパッとこちらを見た途端、「合格!」と言った。
いつも主治医はこうなのだ。
部屋に入った途端、結果を言うのである。最も、結果が良かった場合なのだろうけれども、患者が緊張の極みを体験していることを、良く分かっているのだろう。
その言葉を聞いた時、自分がマリオネットか何かで、いきなり操っている誰かが糸を離したように、体中の力が抜けた。
そのあと、病院の中のコンビニでバームクーヘンやカフェラテを買い込んで、軽くランチを取った。
だけど変だなあ、もっともっと嬉しくてもいいんじゃない?
なんか気持ちが動かないのは何故なんだろう?
勿体ないなあ、結果が良かったと言うのに、あーんなに心配していたんだから、もっと心がバウンドしたっていいはずなんだけども。
ただ、病院の玄関から一歩出て、前庭の大樹の群れの豊かな梢を、ゆるゆると抜けてくる風に身を晒した途端、得も言われぬ解放感に、一瞬包まれた。
でもすぐに、平らなフツーの気持ちに、戻ってしまった。
そして帰宅するまで、そのまんまのどうと言うことの無い気分だった。
しかし、家に帰って、細々とした家事をしているうちに、だんだん背中の後ろの方が、ふわーっと広くなってきた。
なんか、幸せ。
なんだか背後が、だだっぴろい大草原か、それとも滑らかに広がる海のように、大きく開けてきた、感じ。
そうかあ。
背後って、もしかしたら、無意識の領域ってことなのかなあ。良く分からないけど。
きっと私は自分の心を小さな籠に閉じ込めていたんだろう。
私の心は小さな鳥みたいに、籠の中ですくんでいたのに違いない。
それで、「合格!」ってことで、籠の入口を開けておいたんだけど、きっと長らく閉じ込められていた鳥は、すぐには飛び立てなかったんじゃないかしら。
大人の心は、かように複雑なものなのだろう。
背後の幸せは、少しづつ、少しづつ、大きくなって、眠りにつく頃、やっと私はしみじみ嬉しさというものを実感していた。