人生のままならなさを抱えて走る人々 in 「Like the Wind 日本版 #02」
「囚人たちの逃亡線」
この記事では、刑務所に収容されている囚人たちがランニングによってメンタルを整え、自己を見つめながら日々を過ごす様子が描かれている。
個人的に刑務所内の生活に関心があるので、受刑者×ランニングというテーマは、私にとって実に興味深い。
サンフランシスコのサン・クエンティン州立刑務所。
ここには服役中に1000マイル(約1600km)走るという目標を掲げた「1000マイルクラブ」が存在し、刑務所内の運動場でランニングをし、毎年11月には所内でマラソン大会が開催されるらしい。
テイラーは2012年に殺人罪で服役し、囚人仲間の自殺を機に走り始めたという。
人の命を奪った彼を擁護するわけにはいかないけれど、殺人という究極の罪を犯した人間が走ることによってどのように自己を律し、この先の厳しい人生を生きていくのか、強い興味が湧く。
服役している間に、レイエスの娘は交通事故で12歳で亡くなった。
生前、刑務所に入る前には、毎日のように一緒にサッカーをしていたという。
我が子を亡くすという、親として最大の不幸を経験しながらも、彼は罪を償い、出所後はゼロから生活基盤を整えて暮らしていかねばならない。
その先に果たして幸福を見出だせるのだろうかと思ってしまうけれど、それでもなお、「あの子はいつも心の中にいて、ぼくを励ましてくれるんだ」(39ページ)と、彼は語る。
出所後の彼の姿を想像すると、心がしんと静まり返る。
9年の刑期を言い渡されたマッカスリンは、熱望していたランニングクラブがワシントン女性更生センターにようやく設立されて、「うれしくて泣きそうだった」(41ページ)
この女性がどんな罪を犯したのかは記事に記されていないが、「あの瞬間」の記憶は、おそらくこの先も消えないだろう。
なかったことにはできない罪や記憶と共に走り続けた先に、彼女はどんな景色を見るのだろう。
◆◆◆
そもそも答えや解決法がない問題、または、あるとしてもそこにたどり着くのはたやすいことではない問題に煩悶しながら、走り続ける人たちがいる。
私自身は2019年に発症したうつ病と、それによって生じた失敗や罪悪感、未来への不安などとなんとか折り合いをつけたいというのが、ランニングを続けている大きな理由の1つでもある。
これまでのところ、それはいくぶんうまくいっていると言えるが、まだまだ続く(であろう)この先の人生、さらなるダメージが加わって、収拾がつかなくなる可能性は十分にある。
そうなった時、ランニングは私の苦難にどう作用してくれるだろうか。
◆◆◆
「Like the Wind 日本版」に収められたランナーたちのライフストーリーは、私にこう問いかけているように感じる。
さて、君はこの先も本当に走り続けていくの?
もしそうなら、それによってどんな人生になるだろうね?
答えが出るのはだいぶ遠い先だ。
それまでは、人生のままならなさを抱えて走る人々の語りに耳を傾けて、力をもらいながら、走って生きていきたいと思っている。
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