ヴェネツィアのカーニヴァルと1492
ヴェネツィアの2月はcarnevale(カーニヴァル=謝肉祭)一色になり、街はバロック時代風の衣装にかつら、地面すれすれのマントに仮面、それを見物しようとする人達で道も広場も溢れます。
各地にいろいろなカーニヴァルがある中で、ヴェネツィアのそれの特長はやはり仮面にあります。
もともとの謝肉祭の起こりはもっと古いのですが、ヴェネツィアで始まったのは11世紀頃で、12世紀には仮面職人たちがいたということです。
仮面をつけることで、当時の社会的身分からの解放という意味があり、貴族は庶民に扮し、庶民はこの時とばかり貴族風の変装をして、一時的にアイデンティティを壊し、それぞれの役割から抜け出す楽しみを味わっていたのでしょう。
1492年はジェノヴァ人のコロンブスがアメリカ大陸を発見した年ですが、当時のヴェネツィアはまだ最盛期の只中で、「偶然のアメリカ大陸の発見」が、後のヴェネツィアの衰退へのターニングポイントになろうとは、ごく小数の人間しか気付いていなかったことでしょう。
しかしこれによって西欧は大航海時代に入り、それまでの交易ルートのメインであった、ヴェネツィア人にとって「庭」のような東方の航路から、北西航路へと少しずつ転換してゆきます。
カーニヴァルがヴェネツィアで一番盛んに行われていた時期は17、8世紀で、ヴェネツィアがひとつまたひとつと島や領海を失ってゆく時期と重なっています。
それまでに蓄えた富と栄華をまだ誇っているものの、退廃ムードと漠然とした不安がただよっていました。飲めや歌えの大騒ぎは、それをかき消すために必要な「麻酔」のようなものだったのかも知れません。
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