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私と「働くこと」との付き合い方
社会人になって11年目。
友人からは「あんずは本当に仕事が好きよね」と言われることが増えてきた。
ただ、この10年の中で仕事を真正面から好きになれたのも、現在好きで居続けられているのも、色々な変化があったからこそ。
私は、こと仕事になると言語化をするのが苦手だ。
でもせっかくなので私が働いてきた道筋を紐解きながら、働くことや仕事が好きな理由を探りたい。
今回はきっとうまくまとまらない。
でも書いてみる。思考の地図を広げてみる。
書いてみて、また別の記事でもっとメッセージをまとめてみようと思う。
東京で働く女性の、がむしゃらに仕事と過ごしてきた10年の雑記になることをご容赦ください。
1社目:社会人1~4年目
社会人人生はゴールのないマラソンなのだと考えていた。
いわゆる大企業と言われる社員数1万人超えの会社に入り、自分の実力から背伸びした仕事を任された気になっていたあの頃。
それでも何者にもなりきれない新人のもどかしさからビジネス本を読み漁ったり勉強会なんかに参加していたあの頃。
少し目の前の業務にも慣れてきた時に、
私はマラソンの中継地点になりそうな40代を見ていた。
上司たちの、大きなPJに巻かれ表ではしょうがないと言いながら、裏では愚痴を垂れ流す姿に、私は中継地点にたどり着いた時にこんなふうに日常を過ごしたくない。
強烈に、そう感じてしまった。
初めての転職
突如私は従業員数10名ほどの小さなスタートアップへの転職を決意した。
家族にも友人にも反対された。
小さな会社だったのが理由ではなくて
反対されても揺らがない覚悟が備わっていないことを反対されたのだと、今になってわかる。
反対し続ける周りに
「選んだ道で良かったと思えるように、自分でどうにかしていくので見守っててください」
そう言った瞬間、反対していた人たちは口を閉じ、そっと背中を押してくれた。
2社目:社会人5~9年目
2社目にいる30~40代は諦めるという言葉を知らなかった。
お金がなくても時間がなくても、アイディアと工夫で世の中を塗り替えようとする。熱狂という言葉を社会人になって使うことになるとは思わなかった。
経営層も近くにいて刺激的だ。
知らない世界をたくさん見せてもらえて、数字がどんどん大きくなっていくその渦中にいて、その中心に近いところに入れることが面白くて私は仕事にのめり込んでいった。
いや、幾多ある仕事に埋もれていたという方が正しいかもしれない。
同時にしんどかったのだ。肉体的にも精神的にも。
ただ、自覚はしていなかった。
平日の週1~2は近くのホテルに泊まり(これはこれで楽しかった。かわいいホテルを見つけて楽しんでいた。でも目的は睡眠時間の確保)、土日は予定を詰め込んで楽しいと思うことをひたすらしていた。
「楽しい」とかそういう刺激に心が麻痺して、それでも楽しいを求めちゃう時期だったのだと思う。
そんな中コロナになって、私の糸はプツンときれた。
1人になって過ごしていたら、もっと自分を大事にしたらよかったじゃないかと思うようになった。
毎日深夜まで働き、朝から仕事をして、頭の中はずっと仕事のことだった。それは8割くらいは責任感という名の誰かの目線を気にした生き方だったと思う。
これまで責任感だけでやり遂げていた仕事たちの目的やゴールが、会社の志がわからなくなっていった。
そして仕事への熱量が冷めていった。
熱量が冷めると、これまで「全ての経験が勉強になる、力になる」そう信じて受け入れてたことを疑うようになった。
経営層からの理不尽な要求、不明瞭な抜擢と降格、曖昧なゴールのPJたち。
冷静に見渡すと、今の会社のゴールと自分の人生におけるゴールや目的が乖離していくのを感じた。
2度目の転職
そろそろ卒業の時期かもしれない。私はこの会社でたくさん学ばせてもらったけど、変化が止まってしまったこの環境にいる限り私の経験やスキルアップは頭打ちになるんじゃないか。
そう思い転職活動を始めると、私のこれまでの活動を評価してくれる会社が現れた。直近数年で自身の活動や成果を否定されまくって弱っていた私には驚きだった。
活動を前向きに捉えてくれて、成長している会社に行こう。
今の職種での成果をもっと深くインパクトのあるものにしたい。次のステージは今の職種でのスキルを成熟させていくことだと確信をした。
3社目:社会人10年目~今
入社してから、1年半経った。
入社時から私の直感は間違っていなかったと思う。
適切な(時には耳が痛い)FBをして丸ごと肯定する文化、その上でどこまでも理想を求め続ける。会社が変化を続けていく姿が、変わりすぎだと言われるくらいの前のめり感がとてもいいと思う。
ここで私は「ずっとこの人のもとで仕事をしたい」
そう思えるマネージャーに出会った。
自分の仕事に集中させてくれて、ゴールに近づけるように助言してくれる。サポートを受けてもあくまで私が主体的に判断したものだ。
そうなると純粋に仕事を面白いと思えるようになった。私は企画をする仕事をしているのだけれど、誰のためにどんな課題をどうやって解消するのか、ひたすらに向き合い考え続ける。
ベストな選択が取れなかったこと、自分では成果を出しきれなかったことは悔しい。ただ、周りに優秀なメンバーがいるチームにいるので、その悔しさをすぐに仕事に反映して彼ら彼女らの仕事を真似て工夫していける環境であることにありがたさを感じた。
この頃から仕事とも距離を取るようになったと思う。
距離をとるといっても突き放すわけではなくて、
まずはいわゆるライフワークのライフのところで、とことん自分の満足できる状態を作ろうと試行錯誤した。
断捨離、お洋服の入れ替え、インテリアの模様替え、美術館巡りや読書にどっぷり浸かる。
そうしてライフにおいて思う存分自分の好きやお気に入りに囲まれるようになって、こんなことを思うようになっていた。
私はスキルアップとか経験値を増やさなくちゃ貶められる環境にいるわけではない。今のままの自分で成長とか考えなくてもいい。
というよりは、考えすぎなくても、昨日と違うことを1つずつ取り組んでいるのであれば成長はするだろうし、それで十分ではないか。
年商何億円の社長になりたいとか、FIREしたいとかそんなことを願ったことはないのに、誰かに認められるための何者かになることを目指さなくていいや。
私は今のままでも立派だと思えると、仕事にも前向きに取り組めるようになった。スキルが不足している部分も、不足というよりはさらに自分を前進させるための新しい道具を手に入れたいと思ったら手に入れればいい、とプラスアルファで考えるようになった。
自分は社会人としてたくさんのマイナスを補わなくちゃいけないという思考から、今の自分でも1になれている。1から10にでも100にでもするのは人生を生きながら考えればいいやと考えが変わっていた。
そして、チームを任されるようになった。
いわゆるマネージャーというものだ。
昔付き合った人にマネージャーになりたくないんだと言われた。当時の彼は、今の私と同じくらいの歳だったと思う。
当時上昇志向があった(というか結婚出産というイベント前にできる限りの経験をしたいと思っていた)私は、どうしてそんなチャンスから逃げたいと思うのかがわからなかった。
でも、今はわかる。
メンバーの成長に貢献しないといけないという責務は重い。そのためにかける時間も大きくなる、負荷がかかる。できることなら避けたい。
それでも私は何かこれまでと違う経験をして、仕事というステージのなかで経験値をためていく感じが仕事の好きな部分かもしれない。
それが誰かのためになるのであれば、私の喜びはそこにあるのだよなとも思う。
先日読んだ本でこんな一節があった。
「どうせさ。わたしレベルのモデルなんて、代わりがいくらでもいるの。わたしがいなくても他の子で埋められる穴なんだもの。頑張ったって仕方ないよ」
「そりゃあ、そうでしょ。」
(中略)
「でも、わたしは、好きだからここにいるの。ほかに代わりがいるかもしれないけど、それでもここにいたいの。代わりの人にとられないように一所懸命やるの。」
私レベルの働きなんて代わりがいくらでもいるから、おざなりでいいやともできるし、代わりがいくらでもいるからこそ自分の好きを取られないように一所懸命になるという選択も取ることができる
「代わりがいるから~」に似た理由をきっと私たちは持ち出して自分の仕事を頑張れない理由を探す。
でも、その近くにがんばれる理由も落ちているものかもしれないと思う。
私はこの10年という短い社会人人生のなかで、自分の中の小さな違和感を素通りせず、納得いく道を選ぶようにしてここまできた。
そしてライフを納得いく形にして、働くこととの距離の置き方がわかってきた。
自分で選択してここまで来たんだ、という軌跡が私を強くしているし、私の自信になっているし、隣り合って存在している「仕事」に愛着を持ち始めていて、それを好きと呼んでいるのだと思う。
まだ、仕事や働くことの好きになるためのヒントを明確に言語化できたわけではないのでまた別途noteを書こうと思うが、一旦は自分の仕事に対する考えを一通りは言葉にできた気がする。
最近ライフワークの『ライフ(プライベートや遊びの時間)』を納得いくまで満足度を上げることに対して、納得感のある本を読んだのでそれを置いて終わり。
「仕事より遊びの方が大事だぜ!」って言い切りが気持ち良い。