詩について思うこと。
やあどうも。とりあえずはようこそ。
飴幸彼。です
飴くんでも飴ちゃんとでも呼んでくださいな。
この文章はなるべく多くの人に見ていただければと嬉しいです。
今回は歌や詩について僕自身が勝手に思うことを書きます。
言葉にしたら逆に怪しく思われるかもしれませんが、、、、
今から書くことは決して
フォローしてる方、フォロワーの方の誰かに言ってるものではありません。
今から書くことは決して
フォローしてる方、フォロワーの方の誰かに言ってるものではありません。
今から書くことは決して
フォローしてる方、フォロワーの方の誰かに言ってるものではありません。
大事なことなので三回書きました。
気分が悪くなりそうな人はここで閉じていただけると幸いです。
ではなぜそこまで言うのに
そんなことを書くのかと言うとこれは
一度簡単につぶやきはしたんですが
僕自身のポリシーだから自分の胸に刻んでおきたいのです。
もしこの記事を読んでくれてる人がいて
「いや飴の野郎。自分でルール破っとるやん」
となっていたら伝えてもらおうと思っています。
ここまで言い訳や保険をダラダラと綴ってきましたが本題は、
自分の書く詩には
「好き」「愛」を直接的に使わないということです。
ここで
いやいやきみきみ、きさまきさま
おんどれおんどれ われこら
そなたの文章なんぞ
「詩」ではないぞ
何を勘違いしてるんだと思う方がいるかも
しれません。
そんな方は
時間を無駄に過ごしているので
今すぐなんかタイミーでもインストールして
新聞配達のアルバイトとかしててください。
本題に戻ります。
ではなぜ、「好き」 「愛してる」を
詩に使わないかというと
【当たり前すぎるからです。】
あと
【そんな深いことはわからないからです。
本質がまだわかってません。】
悪く言うと
僕が書く詩だと薄っぺらくなるからです。
その人のことを思って書いてるんです。
その人で詩を書いてるんです。
だから好きなのは当たり前なんです。
言わなくて良いんです。
最後の1行とかに
「君が好き」「愛してる」を
使ってまとめる必要はないんです
例えば
「君が好き」と言う言葉を使うと答えになってしまっている気がします。
だから僕は
そういう場面では
「来年も思い出してしまう」
「胸が締め付けられる」
とかを使って
良い意味も悪い意味も捉えられる言葉を使いたいです。
そうすれば失恋中の人も片思い中の人も
両思い中の人も誰が見ても
共感できる考えられる
想像ができる詩になるかなと思ってます。
(もちろん今の段階の僕の詩でそのような大それたことができるほど立派な語彙力があるとは
思っていません。)
これがポリシーです。
これは僕が詩を書くきっかけになった
経緯も含めた上でのポリシーです。
だからここまで読んで不快にさせてしまった方は申し訳ありません。
どうかこんな偉そうな文を書いて
僕がポリシーを破っていたから
誹謗中傷または千葉県まで来て
どつき回してください。
しっかりと警察に通報します。
そして僕がマガジンに
追加させてもらっている
たくさんの方の詩は
すごく尊敬している詩で僕のこのポリシーに近いものを感じる方のものです。
一緒にすんなと思われた方はすみません!
言ってくれれば前言撤回して謝罪します。
本当にすごく良い詩なので
ぜひ一度読んでみてください!!
ここまで読んでくれてありがとうございます!!
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