自分を赦す練習/カルテット
大好きな秋が来て、これは…ちょっと本格的に空気が冷たくなってきたぞとみぞみぞすると、テレビドラマ「カルテット」が観たくなります。
そして、実際観ます。
もう全編通して少なく見積もっても10回は観ているので、展開はおろかセリフもほぼ覚えているというのに、わたしはまた、いそいそと録画を掘り起こします。
いつだったか、これぞと思う過去作品は何度でも繰り返し視聴することを人に話したら「そんなことでは脳が古くなり退化する一方なので、よした方がよい」と言われたことがあります。
そうでしょうか。
わたしは展開やセリフを暗記してしまってから、新しく気付くことや改めて心震えることもあると思います。
むしろ、この後のストーリーを想像したり考察したりする必要がないからこそ、物語そのものに集中してより深く味わうことが出来るとも言える。
ドラマ視聴は2回目か3回目辺りからが肝であり、逆に言えばよい作品というのは何度観ても発見や感慨が生まれるものではないか。
…と思っているので、常に新しい作品ガー論者の人に対して「分かってないなぁ」と思ったけれども、まぁ人それぞれの主張も楽しみ方もあるよね、と思ったので口に出すのは控えました。
さて、そんな、冬を予感すると何回だって第一話から観返してしまう「カルテット」。
もうテープだったら擦り切れるくらい観ているというのに、いつも泣いてしまう場面があります。
幼い頃からどうしようもなく相容れない父の最期を見舞うのを躊躇うすずめちゃんに「いいよ、行かなくていいよ」と伝えるマキさんのシーン。
それから、過去の話をしようと試みるも、つかえて後が続かないマキさんに「いいよ、もう言わなくていいよ」と遮るすずめちゃんのシーン。
わかってる。
マキさんがどうするのか
すずめちゃんが何を言うのか
ぜんぶわかってるのに。
わたしは、自分を赦すのが苦手です。
割合あっけらかんとして見えるのか「悩み無さそう」と言われ続けて40余年。
その実、非常に思弁的なので、頭の中でぐるぐると反省しているし、いつも何らかの罪悪感に苛まれています。
今回はそうでもなかったなーと安心していたら悪夢にうなされることもあります。
自分で自分を赦せないからこそ
心から信頼している人に赦される場面に
心が動いてしまうのだと思います。
わたしはカルテットを繰り返し観ることで、自分を赦す練習をしている、のかもしれません。
練習の基本は反復ですからね。
難しい漢字を何度も何度も書くように
複雑な旋律を何度も何度も弾くように
ダメな自分でも、隣の芝生が青くても
いつかわたしは、わたしを赦したいのです。
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