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yajimasyoukai
気を遣いすぎて「気の利かない人」になる
隣の人のグラスに、ビールがあと3~4㎝ほど残っている。
わたしの脇にあるビール瓶を手に取って「お注ぎしましょうか」と声を掛けるべきだろうか。
…でもビールは冷えた状態のものが美味しいと聞く。
(わたしはお酒が飲めないのでそこんところはピンと来ない)
上から注いだらグラスに残っているものと混ざってぬるくなり、まずくなってしまうかもしれない。
あるいは無理にグラスを空けさせることになり「今飲みたい気分じゃなかったのに」と思われるかもしれない。
もう飲みたくないから敢えて少し残しているという可能性も考えられる。
実際そのような事例も過去にあった。
わたしが注ごうとすることで逆に先方のご迷惑になるかもしれない。
グラスが空くまでもうちょっと待った方がいいか。
いや、今がそのタイミングなのか。
それとも一旦、声だけ掛けるべきなのだろうか。
「他の、何か頼みます?」的な声掛けが適切だろうか。
あるいは…
と思い煩っていたら、向かいの方があっさりビールを注いで、
「やっぱりAちゃんは気が利くなー」
「それに比べてオマエは気が利かないなー」
ってなること、ありますよね。
(え、ない?)
ここ数年で飲み会というものがすっかり無くなって、わたしはこのような心の葛藤から解き放たれました。
あと、徐々に再開されている会食等の際も、食べ物や飲み物は個々に頼んだ自分のものを飲食する(大皿から取り分けたりしない)という形が定着したように思います。
別途お金を貰ってるわけでもないのに、取り分けやお酌はその場にいる女性の仕事のようになっていた(しないと「気が利かない」と怒られる)ことは、きっと昭和・平成の遠い記憶になっていくのでしょうね。
未練は一切ありません。
さようなら昭和・平成。
もう二度と会うことはないでしょう。
飲み会に限らずとも、
配慮に配慮を重ね過ぎて配慮不足と判断されるとか、
失礼とは何かを考えすぎて却って失礼な発言をしてしまうとか、
よかれと思って行ったことが裏目に出るとか、
考えすぎると大体、碌なことがありません。
知ってるのに、分かってるのに、散々涙を呑んできたのに、それでも何かにぶち当たったときに「考える」という選択をしてきた(これからも多分する)のは、わたし。
だから結果が思ったように運ばなくても「あなたの為を思ってやったのに」と相手に詰め寄るような言動だけはしないようにしようと思っています。
(たまに、ちょろっと出ちゃうけど)