店内が冷房で寒い場合、まずは何か羽織るタイプだ:☑︎
何か問題が生じたとき、出来る限り自分で何とかしようとするタイプと、人に何とかしてもらおうとするタイプがいますよね。
わたしは、前者です。
例えば、ランチに入ったお店で冷房の風が自分に全当たりしていることに気付いたとき、わたしは何も言わずにバッグからショールやカーディガンを取り出して羽織ります。
何も持っていなかったら…
寒いのを我慢します。
でも世の中にはそういう時、すかさず店員さんを呼び止めて席を替えてもらったり、温度や風向きを調整してもらったりする人も、いますよね。
そういう人を見掛ける度
わたしは首を傾げていました。
なぜそんな、さも当然という顔で、自然な仕草で、他者に対して自分の困りごとを解消するためだけの依頼をすることができるのか?
季節の変わり目だというのに羽織るものを持ってこなかった自分の落ち度に目を向けて、ただでさえ忙しそうな店員さんを呼び止めることを躊躇ったり、話し掛けるタイミングを見計らい過ぎてなんか…もういいや、帰ろうとなったり、しないのか?
…
一方で、まったく逆のことも起こります。
例えば、「この洗剤の詰め替え、開け口がちょっと切りにくいんだよな」と思いながら使い続けていたら、何ヶ月か後に買い替えた際、開けやすく改良されているのに気付いたとき。
メーカーの人たちが自ら「あ、これ開けにくいわ」と発見した可能性もありますが、消費者から指摘が入ったことでメーカー側が何らかの策を講じた結果かもしれません。
「手で開けられます」と書いてあるのに開かないとき、わたしのような者はハサミを持ってきてしまう。
でも「切れないじゃないか」とお客様相談室に連絡する人がいるおかげで、製品に改良が加えられる。
何もしていないのに身の回りが便利になっていくとは、なんてラッキーなことでしょう。
世の中はそうやって徐々に変わっていき、下着のタグはいつの間にかプリントが主流になっていたし、駅員さんはみんな優しくなっていました。
その間、わたしはタグがチクチクしたら縫い目から外していたし、駅員さんに横柄な態度を取られたら「次はモタモタしないようにしよう」と事前準備を万全にして臨むようにしていました。
でも、それでは何も変わらないのですよね。
わたしのこの仕上がりはたぶん、元々の性質と、育った環境がダブルで影響して培われたものなのでしょう。
出来る限り自分で何とかしようとすることは美徳、のように思えますが、抱え込みすぎて潰れがちだし、潰れる前に無理だとはっきり申告した方が周囲にとっては逆に親切、ということもあります。
自分で出来ることは自分でするけれども、必要とあらば人を動かすことも出来る、その辺の線引きがしっかりしたハイブリッド型が望ましいのだと思います。
でもわたしはきっと明日も、誰かに何かを頼むのにいちいち逡巡し、タイミングを見計らい過ぎて挙動不審になるのでしょう。
そんな自分も嫌いじゃない…
というか結構好きなので、まぁいいかなと思う昨今です。