仮想儀礼すら混ぜ込んでご機嫌に生きる
以前放送していたドラマ「仮想儀礼」が誠に面白かったので原作『仮想儀礼』を読み始める、などということをしていると、宗教というものについて考えざるを得ません。
今日は、クリスマスイブですし。
わたしはクリスマスのハピネス感が好きなので、伊東屋などで壁一面のクリスマスカードからこれぞというものを選んでは送ることをささやかな趣味としています。
クリスマスが終われば、神社でこの1年の無病息災を報告&お礼し、年賀状を幾枚か手書きし、大掃除をちゃちゃっと済ませて紅白歌合戦を楽しんだ後、蕎麦など啜りながら23550655年越しをご一緒にスペシャル(Eテレ)で年を越します。
お祭りの太鼓やお囃子には血湧き肉躍り
お葬式があれば神妙な面持ちで手を合わせる。
一方でクリスマスの雰囲気をワクワクと楽しみ
チャペルの結婚式では厳かっぽい雰囲気に浸る。
いわゆる「宗教ちゃんぽん」状態です。
とは言え無宗教、とはちょっと違うような気がしていて、お天道様が見ているとか、バチが当たるとか、生まれ変わりとか天国とか地獄とかを薄っすらと信じているフシもある。
そんなわたしには「八百万の神」という考え方がいちばん、しっくりきます。
すべてのものに神が宿るから、自分も他者も動物も植物も無機物もみんな、まるっと大切にすべしとする八百万の神的な考え(神道)は、他の宗教をも否定しない、ような気がします。
少なくともわたしは、心に唯一の神様や仏様を持たない分、神様の存在を信じる人も、先祖を殊更に大切にする人も、それをわたしに強制してこない限りは一定の温度で「いいね」と思えます。
冒頭の「仮想儀礼」は、都庁で働き順調に出世街道を歩んでいた男が、ひょんなことから仕事を辞め、新興宗教を立ち上げ、教祖として成り上がっていく話です。
「ひょんなこと」ってドラマや小説の紹介で頻出する表現ですが、もう、これこそ「ひょん」だろうという成り行きで教祖になり着々と信者を得、教団を大きくしていく過程、またいつその正体が暴かれるのかというサスペンス的要素をも楽しめる物語です。
彼らが執り行っているのはいわゆるインチキ宗教なんだけれども、都庁勤めの知識と経験があって、且つ悪人になりきれない男の人間性が作り上げた教えは現実に即していて、結構「こんな宗教あったらいいな」と思える部分が多く、例えばドラマのセリフで出てくる「ええ、あなたの勝ちです。でも、見てください。微笑んでいるのはわたしです。」という切り返しなんか、派手にやり込められて腹が立ったときなど、日常生活の実践として役立ちそうだなと思います。
ひとつの宗教に浸かって生きるのも素敵です。
心に自分以外の芯があるのってちょっと、羨ましい。
でも、たまたま日本に生まれて、押し付けられることも自ら信じることもなく宗教ちゃんぽん状態で生きてきたのは、それはそれで幸運であった、とも思います。
それぞれの宗教を寄せ集め、架空の「仮想儀礼」さえもごった煮で混ぜ込んで、良いなと思う部分だけを実践して生きる、という雑なことができるからです。
わたしはそうやって、これからもご機嫌に生きていきたいと思います。合掌。