noteという精神安定剤
どうにもモヤモヤすることがあると、何も手につかなくなります。
普段わたしは、外出する際にいつも文庫本を持ち歩いています。
カナル型イヤホンも常にかばんに入っていて、電車の警笛やアナウンスや会話などの騒音から身を守りつつ、音楽を楽しんでいます。
でも、心が落ち着いていないと、読書していても頭に入ってこないし、好きな音楽すら鬱陶しく感じるときがあるのです。
そんなとき、noteを開いて「テキスト投稿」ボタンを押します。
真っ白な、なにも書かれておらず、罫線すらない空間に、何に引っ掛かっているのか、どうして欲しかったのか、自分はどうしたいのかなど思いの丈を書き綴ります。
書いてそのまま投稿することはまずありません。
ざっと入力したら一度、下書きに保存します。
だってその記事は、いわゆる夜中に書いたラブレターのようなもの。
朝になって改めて読み直したら、恋する自分に酔っていて恥ずかしくなること必至だからです。
あと、そのまま公開したら誰のことか分かってしまうかも、せっかくリアルな知り合いには誰にも告げずにひっそりと書いているのに、身バレしたら面倒くさいという懸念もあります。
わたしが最も恐れているのは、母から急にコメントが入ることです。
大学生の頃、友だちにmixiのアカウントを教えたら巡り巡って兄に行き着き、兄が家でそれを話題にしたらわたしにも教えろと母から詰め寄られ、渋々教えたら日記を投稿する度に絵文字たっぷり&ハイテンションの長文コメントを書かれ、最終的には「ああいったことを若い娘が書くべきではない」などと説教された苦い経験があるからです。
…ああ、話がそれました。
そうそう、書いてそのまま投稿することはほぼなくて、編集するよという話でした。
今までも何度か書いているとおり、わたしは忘却力に優れているので、2日前の晩に何を食べたか思い出すのにしばし時間が掛かります。
だから2日前に下書きに入れたnoteの内容も覚えていません。
覚えていないけれども、そこは自分の書いたnoteです。共感度100%で読めます。だって自分ですからね。
うんうん、分かる分かる。でも初見の人にこれ見せても何言ってるか分からないから、こういう表現に変えたほうが読みやすいんじゃないかな、とか、ちょっと呪いが強すぎるわ。引いちゃうからもうちょっと優しい言葉にしたほうがいいかも、とか、この過去のエピソードも加えたら対比されて分かりやすいかも、とか。
そんな具合に編集者として、数日前の自分のモヤモヤに向き合うと「ああ、そういうことだったのか」と気付くことが度々あります。
実生活で愚痴を言うのも大事ですが、言い過ぎると誰かの負担になってしまうし、かと言って自分の中に溜め込みすぎるといつか爆発してしまう。
そんなとき、noteで自分と対話するのは、ちょっと暗いけど悪くない精神安定の一つの方法だと思うのです。
↓今まで書いた類似記事はこちら