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読書は別に、役には立たない

今読んでいる本があと数十ページで終わってしまうというとき。
わたしは積読の中から比較的薄めの本を選んで、予備として持ち歩くことにしています。

わたしにとって活字は、必需品だからです。
待ち時間や空き時間、何かを読まずにはいられないからです。

「崇高な趣味だよね」
「仕事しながら本読めるなんてすごい」
「わたし、続かないんだよね…偉いねぇ」

などと、なんだか持ち上げられがちな読書という趣味ですが、そんなことは全くもってありません。
ただ、本から離れられない体質、というだけのこと。

きれいなお姉さんがいるとつい見てしまう、とか
気付くと何となくゲームに手が伸びている、とか
お笑いを見ていると時間を忘れてしまう、とか

わたしの読書は、その辺りのものと変わりません。

ただ、活字を読んでいたいという欲求がなぜだか内から湧いてくるだけで、読書によって自分を深めたいとか、処世術を身につけたいとか、1か月に3冊読むことを己に課しているとか、そういう意識はありません。

活字を目で追っていたい
物語の世界に浸りたい
自分とは別の視点でこの世界を見てみたい

そんなような、実に素朴な気持ちなので、もし読書によって知見を得たらそれは単にラッキーであり、副産物です。

豆腐を作ろうと思って出来た、おから
みたいなものです。

いつだったか、読書をしていたら「それって何かの役に立つの?」と聞かれたことがあります。

役に、立つ?

わたしとは根本の発想から異なるその質問に、わたしの地盤は揺らぎました。そうか、「役に立つ」ことを主な理由として自分の行動を決める人がいるのかと。

ただ「読みたいから」ではなく、辛い、しんどい、きつい読書というものを、「役に立つ」が故に困難に耐えながら読んでいると思うから「崇高」「すごい」「わたしには無理」「偉い」という反応が生まれるのだなと、このとき初めて分かったのです。

わたしは、読書によって今の自分が作られたと思っていますし、わたしはたぶん、これからも活字や物語の近くで生きていくことになるでしょう。

でも、その人に読書という方法が合わないのなら、無理に読む必要はないと思います。

旅をしたりスポーツをしたりゲームをしたり人と会ったり、またはただ家から外を眺めているだけでも、人はその人になっていくと思うから。

読書は別に、役には立たない。
だから安心して、あなたはあなたのしたいことをすればいい。

罪悪感や後ろめたさを感じることなく、堂々と、心地よい時間を過ごしてほしいなと思います。

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