わたしだって素直なままでいたかった
隣の席の社会人2年目さんが、いい人です。
すごく、すごくいい人なのです。
誰かのミスのせいで自分の手間が増えても全く嫌そうな素振りを見せないし、しかも驚くべきことに、本心からそう思っているようなのです。
心の中では毒づいているのに「大丈夫です~(ニコニコ)」と言っているな、というのは何となく分かるものです。
だって他でもない、わたしがそうだったから。
この人に直接異議申し立てをするよりも、とりあえずここは飲み込んでおいた方が身のためだなと学べば、人はどんどん「見かけだけいい人」になるもの。
でも、2年目さんは本当に、心から「全然大丈夫です、気にしないでください」と言っている、ように見えるのです。
わたしだって負けず劣らず、いい人です。
時には自分が不利になることを分かっていて、身を挺して人を庇ったりします。
後輩の為に上司にたてついたりもします。
でも、2年目さんのような、ピュアで混じり気の無い「いい人」ではないなという自認もあります。
わたしは人の悪意に対して、その悪意をエッセンスとして利用して笑顔で仕返しする、くらいのことはやってのけますけれども、2年目さんは、たぶんそんなこと、しないと思うし。
適当に時々ランチをするくらいのお友だち関係なら問題なくても、一緒に働くと少なからず嫌な部分が表出してきます。
追い詰められたときにその人の本性が表れるものだし、仕事ってどこかのタイミングで何かしら追い詰められるものだから。
とは言え、数日か2〜3か月であれば、性格の悪さも隠しおおせるかもしれません。
でも、わたしは丸々1年、2年目さんの隣に座り続けて一緒に仕事をしてきたのだし、こちとら百戦錬磨の内向的40代です。
実のところ性格が悪い人のことは
たぶん、見抜けると思う。
思い起こせば今までどれだけ、適温の白湯に見える煮え湯を飲まされてきたことでしょう。
友だちだと思っていた子からイジメを受けたり、仲良しだった同期から一緒に働いているからこその手酷い嫌味を言われたり、尊敬していたお爺さんにセクハラされたり、仕事の出来る上司に陰でミスを押し付けられたり。
数々の恨みつらみから「この人、なんか嫌い」「笑顔だけど、なんか信用できない」という、人を見る目を養ってきたのです。
そう思うと、簡単に人を信用しない、悪意には悪意でもって返す、というわたしの「性格の悪さ」は、自分を守る為の処世術だったようにも思います。
わたしだって、性格がいいままで
純真無垢で素直なままでいたかった。
でも、そのままで生きるには
余りに試練の多い人生だった。
2年目さんがド直球のいい人なのは、ご本人の生まれ持った素敵さもあるでしょうけれども、恐らく今までの来し方が大きく影響しているように思います。
となると逆に、キラキラした人に罵詈雑言を送り続ける人も、人を陥れることしか考えていない(ように見える)人もきっと、その人だけのせいではないのだろうなと思う…
けれども、だからと言ってなんでも言っていいわけじゃねーぞ分かってんだろうないざとなったら出るとこ出るぞと、思っています。