ヨソモノでも仲間でもない距離
以前、京都でタクシーに乗った時、運転手さんが前の車に対してボソッと
「こんなとこでUターンしはるなんて…ヨソモンやな」
と呟いたことがありました。
ヨソモン…
後部座席にいる旅行者のわたしもまた、京都の方から見たら紛れもなく「ヨソモン」の1人なんですけれども。
(くまモンもヨソモン!)
…
この「余所者(よそもの)」という言葉、決して踏み入れることを許されぬ境界線を感じて、わたしにはとても恐ろしく感じられます。
明文化されていないが厳格な「ローカルルール」「暗黙の了解」とかも怖い。
だから各地の余所者、あぶれ者の寄せ集めであるところの都会は、わたしにはとても居心地がよいのです。
多少おかしな行動をしても見て見ぬふりをしてくれるし「そういう人もいるよね」というアバウトさを感じる為です。
程度で言うと、ピンク色のモヒカンでも「へえ」くらいで受け止めるくらいの都会がベストです。
また、個人経営の小さな喫茶店や飲み屋さんも苦手です。
常連さんがどっかりと腰を据えていらして、一見さんには疎外感がある場合が多いからです。
だからと言って、常連さんの中に入れてほしいわけでは断じてない。Never ever.
名前と顔を覚えられて「最近何してんのー元気ーうぇーい」みたいな距離感で来られても対応できません。
わたしの願いは一つ。
「放っておいてほしい。」
余所者として一挙手一投足チェックされるのも辛いけど、強力な仲間意識をもって接されるのもまた、しんどい。
ここではこういうルールだから、
今までずっとこうしてきたから、
だってみんなで盛り上がったほうが楽しいじゃん?
などと選択肢を狭められると窮屈に感じ、
周囲に害を与えない範囲内で自由に振る舞って誰からも咎められない場所を、わたしは心地よく感じるようです。
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先週の日曜日、わたしと夫は一緒に居間で過ごしましたが、一日中ほぼ会話を交わしませんでした。
(喧嘩はしてません)
夫は何やらパソコンで作業をしており、わたしはnoteを開いたりドラマや映画を見たり。
一応テレビをつけるときは「これを見るよ」と夫に声を掛け、夫はたまにドラマの内容にコメントしたり、はたまたパソコンに没頭していたり、うたた寝していたり。
一緒にいるけど、介入も強制も無理強いもしない。
そういう関係を「冷たい」「寂しい」と感じる人もいるかもしれません。それはそれで間違いではないと思います。
でもわたしたちはお互い、そのくらいの感じが心休まる。
こういう距離感のちょうど良さが夫婦で合っていて、ラッキーだったなと思っています。