「障害(児・者)福祉」と「子ども家庭福祉」

こどもの権利を具体化するのは誰?どんな仕組みなのだろう?と考える。

障害(児・者)福祉では、「者」(成人)の方は未だに完成されたものではないが、当事者たち自身の運動によって勝ち取られ、介助を供給する仕組みが制度化されていった。それに比べ「児」の方は不十分ではあるが部分的には介助を供給する仕組みも無くはない。

「障害者」とされる人の生存、人の手を借りながら「障害者」ではない人と比べ「できない」ことがそこそこ少なくなるような暮らし方を支えるのに家族では限界があり、入所施設では一般社会に比べできない経験が多すぎた。
「障害者」とされる人たち自身が集団的に、やがては組織的に権利を主張し、社会が「障害者」を排除する作為的/不作為的な面を糾弾し、是正を要求した。これに賛同する非「障害者」たちが介助をしたり、制度化を支持した。
「自立生活運動」と呼ばれる当事者中心の社会運動は海外でも同時的に起こり、日本の運動の中心となった人物が交流を重ね、国際組織DPIが結成される。DPIによる政府への働きかけによって制度の創立、改善が後押しされる。
現在は、不十分であることは何度も言わなければならないが、生活上介助が必要なさまざまな場面に対して介助の供給が行われる制度があり、介助者には賃金が支払われ、介助者を安定的に供給したり、当事者自身が介助を使いこなすのを支援する仕組み(CIL等)がある。
「障害者」とされる人たちの権利は、部分的には制度化というかたちで社会によって保障される部分が増えていっている。

これに比べて、「こどもの権利」はどうだろう?
子どもに必要な養育をする義務は第一義的に親にあるとされる。しかし、子どもによって生存、生活に必要なものは異なり、親、家庭ができることも様々な状況、状態によって異なっている。
児童相談所は一時保護後に家庭引取を目指すために、一時保護のきっかけとなった出来事と同じことが起こらないように、同じ状況をつくらないように協力してくれる人(サポーター、支援者)を保護者に探してもらい、具体的に誰が、何をすることで再発防止するのか明示することを求める。(もちろん、これは子どもたちに安心してもらえるようにするためでもあるのだが。)
この要請に応えようとする保護者もいれば、応えられない(応えない)保護者もいる。困難な状況にあった子は家庭自体、保護者にとっても困難な状況であることが少なくない。

その中で、協力してくれる人を自力で探すというのは、「障害者」とされる人たちの家族に、無償で介助してくれる人たちを自分で探して生活を賄うように、と要請しているようなものではないだろうか?

保育園や学校にたとえば朝7時から夜7時までいたとしても、残りの12時間は家庭による養育、あるいは家庭が費用を支払えるサービスを利用して補わなければならない。
行政が児童養護施設等に委託している「こども短期入所(ショートステイ)」は枠が限られ、事前の予約も必要なので常に利用できるとは限らない。所得に応じた費用負担も必要である。社会福祉協議会等が運営しているファミリーサポートは送迎や一時的な預かりが可能であるが、協力会員が近隣にいるかいないか、その子に対応できる人かどうかで利用の可否が左右されるし、費用負担もあるため、親、家庭に一定程度の所得があることが前提となる。

高齢者福祉は高齢化が社会的な課題として認知され、力を入れられてきたし、障害(児・者)福祉は障害のある人の権利に関する条約に批准する前から、当事者たちの運動によって勝ち取られてきた。
子どもたちは、「障害者」とされる人たちがしてきたように、自身の権利を組織的に主張し、制度化を提案(体現)したり、要求する機会を持たない。

必要なのは社会がこどもの権利を守り、具体的にしていく制度、仕組みーーあるいは文化かーーではないだろうか?


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