ASD傾向のある生徒の授業で得られた知見
こんにちは。私は個別指導塾で塾講師のバイトを数年続けていました。
中学受験、高校受験、大学受験にむけての勉強法の指導を行ったことがあり、指導可能科目は理系科目です。
ASD(自閉スペクトラム症)とは
ASD傾向があると事前告知された生徒の授業を依頼されることが多々あり、そこで得られた知見から、ASDの「認知」の感覚が実際にどうなっているのかを考えてみたいと思います。
まず、認知の面でASD傾向のある生徒と、他の生徒とで明らかに違うのは、勉強に対する捉え方でした。
ASD傾向が無い生徒の勉強をする動機は、大抵が外部に存在しています。又は「面白いから」などの内的な動機であっても、大学に入って○○がしたいなどの勉強という行為と他の事象との関連性を見出すことがしばしばです。、
対して、ASD傾向のある生徒の勉強動機は、外部には存在していないように思えます。また、勉強という行為と他の事象との関係性を想像することがどうやら苦手なようでした。
このように考える理由なのですが、問題を間違えた際にASD傾向のある生徒は自分に非があると考え過剰に落ち込むという行動が、ASDでは無い生徒と比べると多いからです。
自分が決めた目標に達していないときの軌道修正をしようとする執念が、かなり強かったように思います。
誤答があるたびに前のめりになって訂正箇所を探している様子が当時の印象的な思い出としてあります。
ASD傾向のある生徒は、自分の中のルールに沿って行動原理を決定する傾向が強いのではないかと思います。
また、勉強という枠組みは正解か不正解かで簡潔なルールを基に行われることがほとんどであり、そのルールにぴったりと夢中になっている様子も見受けられました。
よくASD傾向として挙げられている「細部に気を取られて全体像を把握できない」ですが、勉強という場面においては、「解答の正誤に関心があっても時間をかけすぎで受験勉強としては非効率」といった形で現われてくるのではないでしょうか。
ASD傾向のある人の物事の認知の感覚は、「認知する事象それぞれが独立しており、その間に関係性が無いもしくは薄い」と考えることができそうです。ことわざで「木を見て森を見ず」とありますが、これを地でいくのがASD傾向のある人ではなかろうかと思います。
以上、ASD傾向のある人の認知の仕方について考えてみました。
総じて言えることは、ASD傾向のある人は物事を認知する際にそれを自分のつくるルールの中で分解しながら解釈し、行動原理を選択したり創造をし、またその過程で他の事象が介入することは基本的に無いということです。
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