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徒然日記~不惑を迎えるにあたっての書きなぐり

こんなに色々書きたくなるのは、もうすぐ節目だ、と自分が不安定になっているからなのかな。
子どもとの些細な出来事に感動し泣きそうになってしまうのは、もうすぐ良くないことが起こってしまうからなのかな。いや、自分で起こすのかな。

ちょうど今ぐらいが私の一番好きな季節。
空気が澄んできて、青空は高く冴え渡っていて、金木犀の匂いがどこからともなく漂ってくる。
木々は色づき、落ち葉が増え、さくさくと子どもが楽しそうに歩く。
最近はめっきり短くなってしまったけれど、私の大好きな季節。秋。

小さい頃からいつだって心の中にあった、希死念慮。
物心ついた時にはすでにうっすら「いなくなってしまいたい」と思っていたように思う。
たぶんそれが自分の中で確固としたものになったのが小5のあの日。
私に「お前はもう用無しだ。お前のことなんかいらない。」と突きつけたあの子は、今頃何をしているのだろうな。

世の中の多くの人は、こんなしょっちゅう「消えてしまいたい」「いなくなってしまいたい」「死んでしまいたい」なんて考えていない、と知ったのは割と最近。
みんな抱えてる思いではないんだ、と目から鱗だったけど、どこか一方で納得もした。

毒親育ちだと希死念慮を抱きやすい、みたいな話も読んだ。
確かに母親は自分と妹とを頻繁に比べダメ出しをし、
テストでいい点を取ると喜ぶが悪い点だと不機嫌になり、
子どもの前でよく父親の悪口を言って同意を求め、反論しようものなら爆発し怒りの矛先がこちらに向き、
夫婦喧嘩を子どもの面前ですることはしょっちゅう (ほとんど母親が父親を詰るカタチで、言い合いはたまに。つかみ合いは全くなかったが)、
自分と妹とケンカした際に虫の居所が悪ければリモコンなどの物が投げつけられ、
それ以外でも自分の機嫌が悪ければ物をドスンと投げ捨てるように置いたり、家の中をわざと大きな足音をたててドスドス歩いたり、ドアをとても大きな音でバタンっと閉めたり。
いわゆる“フキハラ”が酷い母だった、し、母である(現在進行形)。
妹ばかりが可愛がられ、私には禁止したことを妹には簡単に許可し、アトピーが顔周りに出てしまっていた中学生ごろの私の自己肯定感をさらに低めて、周りからは「マジメでつまんないキャラ」認定されますます陰キャになり、方や妹は陽キャで羨ましい学生時代を過ごしていた。
今だって会って口を開けば父親の悪口だらけだし、相変わらず妹と比べられダメ出しばかり受けている。

条件だけ見ると、母親はかなり【毒親】に当てはまると思う。
でも適切な教育は受けさせてくれたし、いわゆる“虐待”や“ネグレクト”にあたることはなかったと思う。
現在は、孫の面倒も進んで見てくれるし、孫の扱いと私の扱いとのあまりの違いに驚いている。
子育ての相談にも一応のってくれる(巷でよく聞く、否定ばかりのアドバイスではなく、まともな答えが返ってくる)。
いまは割と母親との関係はよくなっている。
適度な距離が物理的にも精神的にもでき、母親も丸くなったからかな、と思っている。
だから、世の中の【毒親】育ちの人達の書籍やblogを読んでると、自分が【毒親育ち】を名乗ることなんて烏滸がましいと思ってしまうんだ。
こういう考えも【毒親育ち】の人の特徴、と言ってる人もいるけれど。

何が言いたいんだっけ。
今までの自分を軽く振り返りたかったのかな。

あと一日で節目を迎える。
自分なりに激動だった30代。ひとり暮らし、許されぬ恋愛、ぼろぼろの精神、諦め、結婚、引越、出産、子育て…
そして明後日から未知の40代へと突入する。
どんな40代が待っているのだろう。不惑と呼ぶにはまだ惑いすぎている。
とりあえず節目の日に“何か”を起こさないように、自分のためだけの予定を組んだ。
衝動性が躁鬱の特徴だしな。

夫には内緒で有休を取っている。
言ってしまうと夫も一緒に休みを取り、行きたくもない高級ランチだかディナーに連れて行かれ一日中一緒にいる羽目になるから。
夫と一緒はめんどくさい。40代最初の日は自分だけで、自分のためだけに過ごしたい。
(そう思えるのも、帰る場所があり、待っていてくれる家族がいるからなのだろうけど。
独身のままだったらこんな心持ちにはなれなかったかもしれない。)
「自分を大切にする」ことを覚えたい、のかな。これを書いてて気付いた。
これが40代の目標になるのかな。

細々した浪費はやめたいな。
すぐに色々買いたくなる癖をどうにかしたい。
高額のものじゃないだけマシだけど、これも躁鬱の症状の一種なのだろうな、と最近になって思う。
あとは断捨離してクローゼットをすっきりさせたい。

「自分を大切にする」って何なのかな。どうやるのかな。それを模索する40代になるのかもしれない。
そして【毒親】(もどき)の連鎖を断ち切りたい。
子どもは私とは別の人格であり、私の所有物ではなく、思いどおりになんてならない、ということを、今以上に肝に銘じたい。
【毒親】の呪縛に苦しむのは、私で最後にしないと。

長々書いていたら日付が変わってしまった。
30代最後の一日が始まる。