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もしかしたら、自分の気持ちに、自分の手でたくさん触れてきたのかもしれない。

春の七草を描いてみたら、緑色ばっかりって難しいという、今年一週間目の気付き・・・。

言葉にすることが大切なのは分かっている。だから言葉にすることを続けてみたら、言葉にこだわらなくていいことも同時に、そして改めて実感。むしろ自分自身のモヤは、言葉にすることで解消されることばかりではないようだ。要するに、両方必要なんだ。

頭を使うことが大切なのも分かる。ただそれより手を動かしているほうが、ふいに考えがまとまることもよくある。新しいアイデアが浮かぶことも。手だけでなくて、体を動かすこと、歩くことも、同じだろう。

といっても、この状況だもの。歩くこともグンと減ってしまっている。その代わりといってはナンだけど、手はこれまで以上に使っている。ような気がしている。書いたり、描いたり、作ったり・・・

この状況の中、閉塞感を感じることはもちろんある。自由に行動出来ないことは窮屈だ。それでも、案外スッキリした気分でいられることも多いのは、おそらくそのお陰だ。手のお陰。

言葉にもしてきたけれど、言葉にしなかったこと。もしくは、言葉に収まらなかったことは、頭よりも手を動かして、なんとかしてきたのだろう。

手から生まれる気持ち。手に収まっていく感情。手でまとめられた考え。手で作った時間。

だから。
触れることに気を遣う今、自分自身の気持ちには、その分たくさん手で触れてきたんじゃないかと感じる。

元々よく洗うほうだったけれど、アルコール消毒も常となり、おまけに今は空気も乾燥していて、何かとカサカサしてしまう手。

手に感謝して、七草のような節句や季節にも触れながら、今年も過ごしていこう。
そして今夜も、ありがとうとユースキンを両手にしっかりぬりこむんだ。うん、ユースキンが一番。あれ?何の話だっけ。

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