【『目を開けて、もっと私を見て』を読んで思うこと】
この詩のことをご存知の方も多いことでしょう。
私がこの詩について知ったのは、ケアマネの認知症研修のときでした。
イギリス・ヨークシャー・アッシュルティ病院で亡くなられた老婦人の遺品の中から見つかったものです。彼女は重度の認知症でした。
詩は静かなメロディと共に朗読されました。
会場のあちらこちらで、すすり泣く声、ハンカチで目頭を押さえる姿がありました。
私もそのひとりでした。
この詩は大切なことを伝えてくれています。
『尊厳の保持』
ひとりの人間として尊重されることの大切さです。
福祉がや介護、看護を生業としていない方でも、誰もが最も大事にしなければいけないことです。
老婦人は重度の認知症と診断を受けていました。
きっと、心を閉ざしてしまった方に対してコミュニケーションを取ることは、至難の業だったでしょう。
介護する側は、こんなに重度だから、きっと話も通じない、仕方ない、どうせ無理…
そんな決めつけで相手を理解しようとしない、あきらめの気持ちもあったでしょうか。
業務の慌ただしさ、仕事の慣れも相まって、自分を振り返る余裕がなかったのかもしれません。
人には人それぞれの歴史があります。
歳を重ねると、「若い頃、1番輝いていた時代のことを話したい、聞いてほしい」と思う方は大勢います。
「老いて介護される」ことは、介護する側にとって推測でしか考えられません。
自分が歳をとって、介護される側になったときの気持ちを想像し『察する力』があれば、介護者は悩みながらも進んで行かれると思います。
寄り添うとはそういうことではないかと思うのです。
高齢化社会が進み、認知症を患う方はますます増えます。
そういう私もいずれなるかもしれません。
例え、思うように会話ができなくなっても、体が動かなくなっても、ひとりの人間として接してほしいと思います。
会場で涙を流していた人の中には、その老婦人が、亡くなってから本当の気持ちが伝わったことに対して、かわいそうだと感じていた人もいたでしょう。
日頃の自分を省みて、心を正していた人もいたでしょう。
だいぶ前の研修になりますが、私にとって記憶に残った研修でした。
この詩が見つかり、こうして後世を生きる者の心の支えになっていることに縁を感じ、感謝しています。
そして、慌しい日常を省みるときに、この詩を読むようにしているのです。
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