こしぬけでふぬけなぼく
小説というのは作者によって味わいが違う。
どこがどうとかはうまく説明できないけれど。
みんなそれぞれ違う。
それぞれ違うのにそれぞれが面白い。
どうなっているのか。
そりゃ世の中には駄作と呼ばれてしまうモノもあるだろう。
でもそんな駄作でもファンがひとりもいないということはない。
はず。
志望者も含めると小説家というのは かなりの数がいるんじゃなかろうか。
noteだけでも潜在的小説家はたくさんいる。
そしてみんな違うのだ。
似ている作風もあるだろうけれど たまたま全く同じ文章を書いた ということは起こり得ない。
さて そんな文豪たちがひしめく中で素人が小説を書いたとする。
いったい誰が読むのか。
アンチすら湧かずにデータの海に埋もれていく。
そんなのあんまりじゃないか。
こうして僕は小説を世に出す前から弱腰だ。
読んでほしい気持ちVS恥ずかしい気持ちのせめぎ合い。
世間的には僕のことを「腰抜け」と蔑むだろう。
腰抜けとは読んで字のごとく 腰が抜けるということ。
これは腰に力が入らず立っていられない様であり 何もできない状態を指す。
しかし小説を書くことに対して「腰抜け」と蔑んでも指は自由だ。
そう腰が抜けた状態でもタイピングは出来る。
僕は腰抜けでも止まらないということ。
腰抜けが書く小説。
うん。
俄然興味が湧いてきただろう。
読みたくてウズウズしてきただろう。
でもここで飛びついたらなんだか負けた気になるよね。
わかるわかる。
まだ間に合うよ。
僕を止めるには上半身を封じればいい。
もう腰は抜けている。
あと一歩だ。
さぁどうする?
え?
止めない?
いや あの。
止めて欲しいんだけれど。
ほら手首を手錠で拘束して 指にはメリケンサックでも装備させておけばタイピングは封じられるでしょ。
ほら僕は抵抗しないよ。
え?
書いてるなら見せてみろって?
フフフ。
まぁそう慌てるな。
ほらここに…あれ?
おかしいな…ここに入れたはずなのにな…。
あッ!
そうだ机の上に置き忘れたんだ。
すまんすまん。
書いたんだけど 持って来るの忘れたみたいだ。
またこんどね。
あーせっかく書いたのに読んでホシカッタナー。
残念無念。
え?
書いてないだろこの腰抜け だって?
フフフ。
書いた証拠は机に忘れてきた。
しかし書いていないという証拠もない。
はてさて 僕はちゃんと小説を書いているだろうか。
信じるか信じないかはあなた次第だ。
ん?
どっちでもいい?
その通り。
トホホ。
やはり勇み足で世に出さなくて正解だった。
腰抜けもたまには役に立つのだ。
腰抜けであり腑抜けな僕。
腑とは五臓六腑の腑だ。
胃・小腸・大腸・膀胱・胆嚢・三焦
のことらしい。
腑抜けとはこれら六腑がない状態か?
死ぬぞ。
なにも食べられない。
いや食べられるが 口→食道→肛門となるので栄養を吸収できない。
ゆるりとした死が僕を待つ。
しかーし!
そんな腑抜け状態でもやはり僕の指は生きている。
さぁタイピングだ。
執筆だ。
小説だしょうせつ。
わっしょいわっしょい。
ハッハッハッ。
ではまた。
ところで三焦ってどこ?
小説を書く器官だったらヤバいね。
ハハハ。
あ そうそうひとつ腑抜けの僕から言い忘れてたことがあった。
「腑抜けとは内臓が無いぞう」
へへへ。
次回予告(ウソ)
「指にメリケンサックでも音声入力で切り抜ける」
の巻き。
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