どうして?
Q.小さな子どもが家にいると部屋はどうなる?
A.散らかる
はい ものすごく散らかるよね〜おもちゃや紙類が。
自然と散らかるくせに自然とは片付かない。
不条理。
片付けても片付けても見事に散らかる。
不合理。
原因はわかっているのに解決できない。
不可解。
なのに何故 僕は片付けるのか。
不思議。
さてここでQuestion
「どうせ散らかるんだからそのままでいいじゃん」
これが許されないのは何故なのか。
教育のため?
環境のため?
いいえ。
どちらもそれっぽいことを言っているだけで真理ではない。
本当の理由を知りたい?
それはね。
踏んだら超痛いから〜
これ以上の理由を僕は思いつかない。
あの やり場のない怒りの収め方を教えて欲しい。
レゴ
トミカ
プラレールの車両が止まるレールのレバー
マクドのよくわからんハッピーセット
全部コワいぐらい痛い。
マフィアが拷問で使ってもおかしくないぐらい痛い。
だから大人は散らかるとわかっていても片付けるのだ。
我が身を守るために。
それに 小さな子どもにいくら「片付けなさい」と訴えても響かない。
片付けないから踏んじゃったじゃないか
と訴えても子どもは「知らんがな」という気持ちだろう。
子どもは遊ぶことが仕事。
その仕事に「後片付け」は含まれてはいない。
つまり残業。
子どもに残業を強いるのか?
否。
君たちは思う存分遊びなさい。
片付けは大人がコソッとしておくからね。
自分たちのために。
散らからないように努力しろよ。
おもちゃの個数をへらせよ。
そんな声が聞こえてきそうだ。
でもね。
パパママはそんな些末なところに気を配る余裕がないのです。
いっぱいいっぱいなのです。
だからおもちゃを踏んだ理不尽な痛みには耐えられないのです。
ならば黙々と粛々と片付けるのみ。
SF小説ならここから お子様へ大人様がよからぬことをするという流れになるんだろうが 現実にそんなロマンはない。
難しいのが どのタイミングから「お片付け」を教えていくのかということ。
シームレスにお片付けが出来る子どもに移行するためには今のうちから口酸っぱく言うべきだろうか。
しかし そうなると本当に口が酸っぱくなるぐらい言い続ける必要がある。
そんなの嫌だな。
口酸っぱく言うのは嫌
おもちゃを踏んで痛い思いをするのも嫌
やはり大人が片付けるしか道はないじゃない。
あきらめろ。
こんなところでグチグチ言ってる場合じゃない。
ほらこの記事を書いている時間にも 読んでいる時間にも おもちゃのひとつやふたつ片付けられるだろう。
世の中からおもちゃを踏んで痛い思いをする大人がひとりでもいなくなりますように。
こうした理念から家事代行サービス「床のおもちゃ撲滅隊」を立ち上げることになったとかなってないとか。
さぁて 今日もどうやって愚痴エッセイを終わらせようか悩んでいる。
広げた風呂敷を閉じるにはいったいどうすればいいのか。
いや。
べつに広げたままでいいか。
だって風呂敷は踏んでも痛くないもんね。
ではまた。
次回予告(ウソ)
「風呂敷踏んでスッテンコロリン大惨事」
の巻き。