育児に不可欠なモノそれは「座布団」 ローテーブルの試練を打ち破れ!
今我が家に必要なモノそれは「座布団」だ。
まさか座布団が欲しくなる日がこようなどと誰が想像てきようか。
「ローテーブル式育児」を実践している我が家。
子どもは小さくて可愛らしいイスにちょこんと座っている。
まだ幼い我が子はポロポロと床に食事がこぼれる。
これは自然の摂理なので仕方がない。
でも掃除が大変なのでローテーブルの下はフローリングの床がむき出しの状態。
子どもはイスに座っている。
では大人は?
フローリングに直座りするしかない。
基本的にはあぐらをかいて座る。
あぐらってなんでかくの?
今はじめてこの違和感に気がついた。
あぐらで座るではなく。
あぐらをかく。
うーん。
意味不明だ。
食事は全員一斉にとはいかない。
出来た順番や待ち切れない子どもは先に食べ始めたり流動的だ。
すると大人は座ったり立ったりを繰り返すことになる。
あぐらをかいていると、立ち上がるたびに「どっこらしょ」という感じになる。
立つまでの動作が多いのだ。
そこで活躍するのが、古代日本から連綿と続く、歴史ある座りた「正座」の登場だ。
イスが普及した昨今では絶滅が危惧されるこの座り方。
道と名のつく茶道や柔道、書道では使われている。
我が家では「ローテーブル式育児道」として正式な座り方として正座を導入している。
正座は立つまでの所作がとても優雅だ。
最小の動きで立ち上がる事ができる。
武士が導入するのも納得である。
しかしこの「正座」には弱点がある。
絶滅が危惧されるほど廃れてしまったのはこの弱点によるところが大きいだろう。
それは足が痛いということ。
こんなに足の血行が悪くなる姿勢があるか?
足先のことなんて露ほども考えていない。
迅速に動けることと、足が痛むことはトレードオフなのだ。
こんな弱点を長い歴史の中で見過ごされるわけもなく、改善する方法がある。
それが「座布団」だ。
「正座」があったから発明された「座布団」
まさにJapaneseChairといったところか。
イスという概念がなかったのか「椅子」ではなく「布団」というところがチャーミングだ。
座る布団。
布団というからにはふかふかだ。
そして座面しかない潔さ。
それでいて足が痛まないという戦略。
見事なり。
天晴じゃ!
しかし昨今の座布団は座布団という名のクッションのようなヤツが多い。
僕が欲しいのは坊さんが座っているような格式の高い座布団なのだ。
あんな高貴な座布団に座った日には僕の猫背なんてシャキっとするに違いない。
欲しい。
でも幼い我が子の餌食になることは目に見えている。
あの四隅についている謎のファサッとしたヒモ。
なんでも受け止めてくれる包容力。
子どもを惹きつける要素満載だ。
そんな高貴な座布団に味噌汁がこぼれたとき、僕は怒らずに対応できるだろうか?
足の痛みを我慢するか。
安い座布団モドキで我慢するか。
高貴な座布団をハラハラしつつ使うか。
くぅ〜悩ましい。
僕はどうすればいいんだ。
ダイニングテーブルとイスを買うという悪魔の選択も残されている。
この世に救いはないのか!
こんなどうでもいいことで悩ませおって。
ローテーブル式育児道は険しき道なり。
そういえば昔の噂に「日本人の足が短いのは正座のせい」と聞いたことがある。
うん。
よし。
ダイニングテーブルを買おう。
え?
足の長さは遺伝?
じゃぁどっちにしろ我が子の足は短いじゃないか!
やはりこの世に救いはないようだ。
少しでも救いに近付けるように高貴な座布団に座って姿勢を正そう。
ではまた。
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