【医療コラム】 診察室に友人からのサングラス
■夢と職業は違うものなのか
麻酔科研修をしていた30歳。今から20年ほど前の話です。
医師として生きる上で、さまざまな手技は必要だと考え、自ら考え、小児神経科専攻研修をしていたとき、6カ月ほど麻酔科研修をしました。麻酔科は自分1人で考えて行動しなければならない大変な仕事です。責任感の重さをつくづく痛感した6カ月でした。
麻酔科医としてやっていくには相当の自信がなければやっていけない。生半可な気持ちで麻酔科研修に来てしまったと後悔していました。今日は何とか切り抜けた。明日はうまくやれるだろうか? そんな毎日でした。週2日だけは小児科医として働いていたので、その2日がくることが、とてつもなく嬉しかったものです。
麻酔科教授に、日本では子どもに将来の夢について聞くと、「医師になりたい」と言ったり、今では「You Tuberになりたい」とか職業を答えるもんだけど、職業っていうのは夢を叶えるお金を稼ぐためだって考えもあるんだよ。つらいことがあったら、夢を持つといいんだと言われました。つまり、職業が夢ではなく、夢は職業以外を目指してもいいということです。ですが私は、「でも私の夢は小児神経科医になることです」と答えると、「そういうことじゃなくてさ、海外旅行に行きたいとかさ。そういうのはないの?」と呆れられたものです。
当時の私は言われたことの意味が理解できませんでした。そんなこと考える余裕がなかったのかもしれません。
■追い詰められていた私
かなり追い詰められていたのだと思います。同僚とも必要最低限の会話しかしませんでしたし、ふさぎがちになって自分の中に閉じこもっていました。
そんな中、たまたま連休があり、高校のときの同級生と会うことになりました。
こんなときに会いたくないな。1人でのんびりしたいな。いや、気分転換に久しぶりに会いたいな。
そんな思いが交錯していたのですが、会ってみたら、不安な気持ちは簡単に消えました。高校を卒業して10年以上。電話やメールでやり取りはしていたのですが、実際に会うと違うものです。お互いに老けてていて、ともに結婚して家庭を持っている。私は医師、彼は文部科学省職員として官僚を目指して日々努力している。環境は変わっているのに、笑顔は高校生のときのままでした。
私は高校生に戻った気がして嬉しかったのですが、でも連休明けの麻酔科業務も気にしています。そんな感じでした。お互いに進む道も違うので、マウンティングをとるわけでもなく、ともに食事をして、高校生のときの何でもできると思っていた気持ちがよみがえり、居心地がよかったのでしょう。
つい口から出てしまった言葉。
「ねぇ来週も会えるかな?」
「なんだよそれ? お互いそんな暇ないだろ?」
そう言われました。
「なぁ? お前の夢は何だよ?」
そんな時に、麻酔科教授と同じ質問をされました。なんでまた、とは思いましたが、私は同じ返事をします。
「そりゃあ優秀な小児神経科医になるのさ」
「うーん? なれるの? お前、結構ひどい顔しているぜ」
「なれるかどうかわかんないけれど、なりたんだよ。絶対に」
「そうか。でも、家族もいるんだから。家族も幸せにしないと、お前も幸せになれないよ。俺の夢は来週、子どもの誕生日だから。子どもと楽しい誕生日にするんだ」
と、ていよく誘いを断られてしまいました。
帰り際、セレクトショップでRay-Banのサングラスを買ってもらいました。
「お前の顔、人に見せられたもんじゃないよ。お前の好きな杉山清貴みたいに、ずっとそれかけとけよ」
■私を救ってくれたのは
次の休みの日。鏡を見てみました。確かにやつれた私の顔はひどいもんです。麻酔科研修を初めてから、しんどくて。でも逃げ出してはいけない。そればっかり考えていたのですから当然かもしれません。家族でちょっとしたお出かけをして、家族の笑顔を見ていたら、まずそれが大事なんだなと思い返しました。
休みの間に気持ちを切り替えができました。彼の言っていることは正しいと思っていたのですが、彼はまだ私のことが心配だったのでしょう。今度はバーバリーの伊達眼鏡を贈ってきたのです。
「そんな顔していたら潰れちゃうよ」
そんな声が聞こえてきます。確かに伊達眼鏡をかけて診療に臨めば、気持ちも切り替えられそうです。
私は小児神経科研修がつらくて一度は逃げ出した過去がありました。だから絶対に今度はやり遂げないといけないという思いが強かったのです。家族、同僚や上司と会話をしているうちに気は楽になってきました。
麻酔科教授も友人もそのことを私に言いたかったのでしょう。
「周りを見渡せば仲間がいる。仲間がいればつらいことがあっても踏ん張れるんだよ」
麻酔科研修を無事に終えて、今では自信になるほどの手技を身につけました。
彼が私にくれた伊達眼鏡と真っ黒すぎるサングラス。
さすがに真っ黒すぎるサングラスは診療には不向きですが、診察室の引き出しから時折取り出してかけてみると、往年の杉山清貴になり切れる。そんなわけはなくて、友人との再会を思い出して懐かしく思え、再び頑張る気持ちが出てくるのです。