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【医師エッセイ】人そして植物とともに生きる
私は病院で児童精神科医として勤務している。これは、私がまだ研修医だった頃の話だ。私が研究位だった頃に勤めていた病院では精神科デイケアがあった。そして、その精神科デイケアが入っている病棟の横には、40m×50mほどの畑があり、野菜や花を育てていた。何を育てていたかというと、じゃがいも、トマト、きゅうり、ナス、ピーマン、ししとう、みょうが、カボチャ、スイカ、梨、菊、マーガレット、パンジーなどだ。季節によって花が咲く時期は違うし、これだけのものを育てるとなると、かなりの労力が必要になる。この畑は、精神科デイケアの患者のリハビリの一環として作られたものなので、作業は患者も行っているし、我々医療スタッフも行っている。
畑仕事は、仕事のようで仕事ではない感覚があった。それを職業としていないのだから、家庭菜園のようなものだ。土を耕し、水をまき、雑草を抜き、ときには間引いたりもする。そして十分に成長したら、収穫し、料理にして食べる。その一連のことが全てできる。これは自分の身体を作っていく行為に繋がり、生きるための行動にも繋がっていく。私はここで、そのことを改めて感じ、自分の精神衛生上にもとてもいいことだと感じていた。
ある日のこと。そんな精神科デイケアに18歳の女性がやってきた。彼女の担当は私だ。初めて彼女を見た時の印象は「無」。彼女はここに来る前、就職活動に失敗し、男性に二股をかけられた挙句、ひどい振られかたをしたそうだ。
彼女は「自分は必要とされていない」「自分は生きる価値がない」と考えるようになる。そしてリストカットをしたり、自暴自棄となって家族に対して「どうして私なんかを生んだのよ!」と叫ぶようになったりと、危ない行動ばかりをとるようになった。彼女のことを大事に思う家族は、メンタルクリニックへ連れて行った。しかし自殺願望が強い彼女には、一般のメンタルクリニックや精神病院では対応が難しかった。その結果、設備が充実している、この精神医療センターに紹介されたというわけだ。
「ほら、挨拶をしなさい」
親にそう言われても、彼女は下を向いたままだ。抗精神病薬を飲んでいたこともあるが、目の前にいる彼女は、生きる気力を完全に失い、食事も水分も満足にとらず、眠ることもできず、まるで魂の入っていない人形のようだった。
「大丈夫ですよ、お母さん。真衣さん、返事はできますか?」
私は彼女の名前を呼んでみる。だが彼女はピクリとも動かない。このまま放置しておけば、身体に問題が生じてくるのは明らかだ。私は両親に事情を説明し、そのまま彼女を入院させることにした。
点滴で栄養補給を行い、夜になれば睡眠薬で眠らせる。自分で食事もしないのだから仕方がない。だが毎日点滴と睡眠薬を繰り返しながらも、私は彼女に話しかけた。
「今日はいいお天気ですね。日光が気持ちいいですよね」
私の言葉に彼女は相変わらず反応しない。自分で動くこともやめた彼女は、ベッドから起きようともしなかった。ただ彼女の右側は窓になっており、外を見渡すことができた。窓の外には、病院の畑がある。そこでは毎日、雨の日も風の日も気温が高い日も、患者様とスタッフが畑仕事をしている。彼女の時間は止まったままだったが、窓ガラスを一枚挟んだ向こう側では、しっかりと時間は過ぎていた。
彼女が来てから1週間が過ぎた。毎日話しかけているが、無反応のままだ。外はちょうど気持ちのいい季節。私は天気も良かったので、彼女の右側にある窓を開けた。すると、さっきまで聞こえてこなかった声が聞こえてくる。どうやら外で畑仕事をしていた患者とスタッフの声のようだ。とても明るくにぎやかな声。まさしく生命というものが、そこにはある気がした。私はこの声を彼女にも聞いてほしいと思い、天気がいい日は必ず窓を開けるようにした。
それからさらに1週間後。私がいつものように朝の時間帯に彼女の病室を覗くと、何と彼女は上半身を起こして窓の外を見ていたのだ。ここに来てから一度も自分で身体を動かしたことのなかった彼女がだ。私は驚いた。だが、こういった変化が起きた時こそ冷静に対処をする必要がある。私は深呼吸をしてから、いつもと変わらないような形で彼女に挨拶をする。
「おはようございます。今日の気分はいかがですか?」
だが彼女の視線は窓の外のまま、私の方に向けられない。私は窓の外に何があるのかと思い覗くと、畑仕事をしている患者様とスタッフの姿が見えた。彼らのことが気になるのかもしれない。私が窓を開けると、いつものように外から元気な声が聞こえてきた。
「先生。私も畑仕事がしたいです」
彼女は何の前触れもなく、そう言ったのだった。
畑作業は患者が自分の意思で「やりたい」と言えば、それを断ることはない。むしろそう言ってくれて、嬉しいと思った。私は冷静さを保ちながら、彼女に笑顔を向ける。
「わかりました。じゃあ、一度下に降りてみましょうか」
私の言葉には相変わらず反応はなかったが、彼女はそのまま体を起こし、別途から立ち上がってくれた。
畑での作業というのは、実際にやってみるとかなり体力を使う。患者でなくても、医療スタッフも最初は筋肉痛になったほどだ。だから患者によっては、畑仕事をしてみたいと言ったとしても、実際にやってみると身体に負担がかかりすぎてしまい疲れ切ってしまうこともある。そのため、すぐに辞めてしまう人もいる。だが辞めたとしても、医師からは何も言わない。すべては患者次第というわけだ。
だが彼女は2週間、点滴だけの毎日で体力が落ちているにもかかわらず、毎日畑仕事に精を出し始めたのだ。かなり辛かっただろうと思うが、彼女はやめなかった。畑仕事を始めると身体を動かすので体力を使い、お腹が空いてくる。彼女は今まで何も口にしなかったのが嘘のように、食事をし始めた。畑仕事をしていたので疲れがたまっているので、夜も薬を使わずとも自然と眠れるようになっていった。
畑仕事がきっかけで、彼女は規則正しい生活を送れるようになったのだ。毎日毎日、水やりをし、雑草を抜き、彼女は真剣に農作物と向き合っているように見えた。
彼女が畑仕事をし始めてから半年が過ぎた。彼女が育てた野菜は順調に育ち、収穫の時期が訪れた。私たちは彼女と一緒に野菜をいくつか収穫し、夕食に調理して出すことにした。夕食のメニューは野菜カレー。カレーを一口食べた彼女に大きな変化があった。これまで完全に心を閉ざしていた彼女の目に、涙が浮かんだのだ。彼女はついに、失われていた心を取り戻すことができた。
「美味しい…美味しいよぉ!」
その後、彼女の口数は徐々に増えていき、一緒に畑仕事をしている患者やスタッフとも不通に話すようになっていったのだった。そして気付けば彼女は、もう病室から笑い声を聞いている側ではなく、病室にいる人たちに笑い声を届けられる側に変わっていた。その変化は、彼女がまた生きている人に戻れたということだ。
私は思う。畑仕事で得られる農作物は手入れをすればしっかりと育つ。だが、手を抜けば抜いた分だけのリスクを農作物が受ける。土を耕す、水をやる、肥料を与える。それだけでも大変なことだが、農作物が育ってくると、それを狙って虫が農作物を食べにくる。虫に農作物を食べられないように、一つ一つの農作物をチェックする必要がある。小さな畑であれば、一人でできるかもしれない。だが、病院にある大きな畑で、様々な性格の農作物を一度に育てようと思うと、一人の力だけでは到底無理だ。きっと彼女は、農作業を通じでそのことに気づいたのではないかと思う。
人は一人で生きているわけではなく、お互いに助け合って生きている。どんなに一人で生きていると思っている人であっても、その人が完全に孤立して生きていけるわけがないからだ。彼女は、この病院に来る前に、様々なことに打ちのめされ、誰も信じることができなくなっていた。けれど、自分の力で立ち上がり、病院にいる様々な人に支えられていることにも気づき、回復することができたのだ。
そんな彼女は、実は今、介護職員として勤務している。彼女は人を救いたいと思うようになったということだ。自分と同じように困っている人を助けるために。人を信じられなくなっていた彼女が、人を救う側に。とても素晴らしいことだと思う。ただ元から彼女は、根性のある強い性格だったのではないかとも思っている。何せ身体が弱っていたにもかかわらず、畑仕事を一度も休むことなく続けられたのだから。私はこれからの彼女にも期待している。
私にとって農業は、人として生きがいを感じるために役立つものだと考えている。汗をかきながら草をむしり、水をやり、植物を成長させていく。ときには人間と同じように虫や他の要因で農作物が病気になることもある。そうしたことを乗り越えてできた農作物を自分で食べたり販売したりする。農作物もある意味、人生と同じではないだろうか。だからこそ、育てることに意味がある。私は全ての農家に、医師として敬意を払っている。