最近の気づき、自分と同じ要求をすると脱落する
自分のことを常識人と思って生きてきたんです。
ところが、健康の話をしたら精神保健福祉士に「そんな難しい話はいい」と言われたりメンバーに健康の話をしたら嫌そうな感じになりました。自分でも気づいたのは自分と同じ要求をすると厳しくてついていけないんだなって思いました。精神保健福祉士の言いたいことは「手を抜けと」
僕の意見としたら運動はしなくても朝15分の散歩がおかしいかと感じますし、夜に時間のリラックスがおかしいかと感じます。さらに自分の好きな本を読んでなんか文句あるかと感じます。
これを障害者施設でやってしまうと間違えなく浮きます。こんなにできないんです。この話題を出しただけで敵対勢力のように扱われます。コミュニケーションの常識は相手に合わせることです。
健康とか本とかは知識がうるさく感じるらしいです。
コミュニケーションの常識にのっとると、最近のユーチューバーやテレビ、近所の美味しいもの、道の話、車の話など、ぶっちゃけ雑談です。障害者施設は雑談をするのが精いっぱいらしいです。新海誠すらアウトです。
合わないわと感じるし、もっと自由にしたいです。しかし要求は僕に優しくしろで過半数を取れてしまうから、僕が変えるしかないんです。
この息苦しい中、ネットの世界は楽しかったです、もっと自由で、開かれていて。自己成長ができて、ちょっと危ないところもある。ネットは快楽でした。
しかし、ネットとはいえど最終的には人です。ここに気づいてからはやっぱりコミュニティーなんだなって思いました。しかし僕の場合は就労移行支援らしいです。この息苦しさを感じるのはごめんだし、僕自身思ったより自由な人間でした。
しかし、コミュニティーが人である以上は合わせていかないとならないなって感じています。僕も降りる作業を始めました。「相手ができないものはできない。だからしょうがないと。」
上手く出来ている人に見習いたいし、僕の次のステージが待っています。